工業高校卒から、30歳で年収1000万円のコンサルタントに――。『転職が僕らを助けてくれる――新卒で入れなかったあの会社に入社する方法』の著者・山下良輔さんは、少ない元手から転職によってキャリアを花咲かせた、いわば「転職のわらしべ長者」だ。
ロングインタビュー、第3回のテーマは「メンタルブロック」。かつては何をやるにも「どうせ無理だよ」が口ぐせだった山下さんは、なぜ劇的に変わったのか。キャリアを阻む最後の壁、自らの心との向き合い方を聞いた。(取材・構成/オバラミツフミ、写真/木村文平)
「どうせ無理だよ」が口ぐせだった児童養護施設時代
――『転職が僕らを助けてくれる――新卒で入れなかったあの会社に入社する方法』の中で、転職希望者を阻む「メンタルブロック」という壁がある、というお話をされていました。転職しようと前向きにキャリア相談に来た人でさえ、希望する会社を受けずにあきらめてしまうことがあるそうですね。
山下良輔(以下、山下):メンタルブロックは、「人生の壁」の中で一番手強いなと感じますね。
転職の相談に乗っていると、有名大学を卒業された方であっても、十分な職歴がある方でも「自分には無理だ」と、自らに呪いをかけている人に度々出会います。
応募してみれば受かるかもしれないのに、「まだ今の自分には早いから」と書類すら送らない人、「僕は学歴が低いので、この企業には就職できないですよね?」と聞いてくる人、「中小企業の職歴しかないから、大手企業には入れない」と悲観している人……。
勉強もできないし、高卒の僕からしてみれば、「いやいや、絶対に挑戦した方がいいよ」と言いたくなる人たちばかりです。
――「自動車部品会社からスバルへ」「そこからさらにジョブチェンジしてコンサルティング業界へ」と、自らの力でチャンスをつかんできた山下さんには、あまりない悩みなんだろうなと思ってしまったんですが……。
山下:ほかでもない僕が、メンタルブロックに支配されていた一人です。10代の口ぐせは、「どうせ無理だよ」でしたから。
家庭の事情があり、高校卒業までを児童養護施設で過ごしたことが影響しているかもしれません。当時の僕がいた施設では、夜になると上級生が暴力を振るいにくる。安心して眠ることさえ難しい環境でした。勉強する時間なんて、どう考えてもありません。大学に行くとか行かないとか以前に、机に向かうことさえ難しい環境だったんです。
周りの先輩や友人は皆、高校を卒業すると工場に勤務していて、僕もそうだろうなと思っていました。当然、キャリアについて真剣に考えている人もいません。
当時の記憶を掘り起こすと、「20歳くらいで結婚して、仕事を長く続けられたらいいな」くらいしか、キャリアに対する考えはなかったと思います。
高卒だったので、月給は16万。そもそも「名前が知れた大企業に入りたい」とか「キャリアアップしよう」とかという発想がなく、工場の見学にさえ行かずに進路を決めたくらいです。生きるために必要なお金があれば、それでよかったんです。
仕事が、「頼られる喜び」を教えてくれた
――そんな山下さんが、キャリアに対して真剣になったのはなぜでしょうか。
山下:陳腐な言い方になりますが、純粋に「周囲から期待され、必要とされる」のがうれしかったからです。
いわゆる「自己肯定感」がものすごく低い人間だったのですが、社会人になり、「仕事で成果を出せば、周囲が自分を認めてくれる」ことを知って、少しずつ人生が変わったと思います。
僕は上司から怒られることが嫌で(誰でも嫌だと思いますが)、仕事は一生懸命にやっていたんですね。社会人歴の長い先輩社員に、「もっと早くやれ」とか「もっと丁寧にやれ」とかと叱責されないよう、一度言われたことはもう二度と指摘されないよう注意しながら働いていました。
すると、周囲からの見え方が関わってきます。「山下が最近頑張っているから、こんな仕事も任せてみよう」と、少し背伸びした業務を任されるようになるんです。若手チームのリーダーに選出され、海外工場の立ち上げメンバーに抜擢され……。気が付けば、転職市場でも少しは評価されるくらいになっていました。
――仕事で必要とされるようになったことで、キャリアに対して真剣になったと。
山下:最初は、そこまで「キャリアアップしよう」みたいな気持ちが強かったわけではありません。中小企業で働いていたので、一度は大企業で働く経験がしたかった。自動車部品会社の若者からすると、自動車会社って「神様」みたいな存在なんですよ。だから、そこで働くってどんな感じなのかなあという興味が、最初の転職を思い立ったきっかけだったと思います。
「過去」は関係ない
――メンタルブロックのせいで、「頭ではわかっていてもなかなか行動を起こせない人」あるいは「無意識に自分に制限をかけている人」を目の前にしたとして、山下さんはどのようなアドバイスを送りますか。
山下:僕自身の経験をもとにした感覚ですが、「自己肯定感」をつくる要素には、大きく二つあると思っています。「他人から認められること」と「自分で自分を認めること」です。
最終的に重要なのは、後者だと僕は思います。
僕自身、最初は「仕事で他の人から認められてうれしい」から始まったけれど、だんだん「(誰かに認めてもらう機会がなくても)自分がやってきた努力は、自分で理解できていればいい」と思えるようになってきました。
自分を認めてあげられるようになったことで、「失敗してもどうってことはない」というポジティブなマインドを手に入れることもできました。他人にも自分にも寛容になりましたね。昔は、とにかく怒っていました(笑)。
――自分で自分を認める。そのために必要なことは?
「過去の自分の延長」で未来を考えないこと。そして、「やってみること」ですね。
誰にでも苦手なことはあるし、能力的にどうしても越えられない壁はあります。でも、やってみないと、それはわからない。これが僕の持論です。自分の本気度や、実際に夢中になれるかどうか、落ちて悔しいか、どうしてもあきらめられないか……。やってみると、いろんなことがわかります。
コスパを無視して突き進みたいことなら非効率でも続ければいいし、この辺で損切りしようと思うなら、いつやめてもいい。やってみた結果、「あれもダメだった」「これもダメだった」とわかることは、むしろいいことだと僕は思います。
「どうせ無理だよ」が口ぐせだった僕が言うんだから信じて欲しいんですが「やってみたけど全部ダメ」っていうことは、絶対にありません。何か残るかもしれないし、他の道が開けてくるかもしれない。でも、そもそもやってみないと、何も始まらないですから。
★連載第1回 「仕事は地味でも転職で成功する人」と「社内では優秀なのに市場価値が低い人」の差
★連載第2回 「石の上にも3年」を信じてずっと転職しない30代の末路
Exception株式会社代表取締役。
1989年、愛知県生まれ。名古屋工業高等学校卒業後、2008年に株式会社松田電機工業所(自動車部品メーカー)に入社。愛知県の工場で生産技術エンジニアとして働く。入社5年目の22歳で、海外(タイ)工場─立ち上げのプロジェクトに参加。1年半にわたる海外駐在を経験。2014年、株式会社SUBARUに転職。先行開発に携わる傍ら、自ら他社に声がけして「共同研修プログラム」を立ち上げ。2016~2018年、東京理科大学大学院経営学研究科技術経営専攻(MOT)に働きながら通い、修了。「プロジェクト単位の仕事がしたい」とコンサルティング・ファームへの転職を決意。2018年~PwCコンサルティング合同会社、2019年~デロイトトーマツ コンサルティング合同会社にて、コンサルタントとして勤務。大手メーカーへの業務効率化の支援などを行う。2021年8月に独立。現在はException株式会社の代表として、企業の組織設計、採用支援、キャリア開発などを行う。Twitterでも転職・キャリアについての情報発信を積極的に行っており、20代、30代から支持を得ている。Twitterには年間100件以上の転職・キャリアの相談があり、相談者から「異業種に転職できた」「交渉した結果、年収が200万円アップした」「高卒でも、20代で年収1000万円を超えた」など、多くの喜びの声が寄せられている。自身の転職ノウハウをまとめた初の著書『転職が僕らを助けてくれる』を発売。
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Photo: Motoko Endo