メール、企画書、プレゼン資料、そしてオウンドメディアにSNS運用まで。この10年ほどの間、ビジネスパーソンにとっての「書く」機会は格段に増えています。書くことが苦手な人にとっては受難の時代ですが、その救世主となるような“教科書”が今年発売され、大きな話題を集めました。シリーズ世界累計900万部の超ベストセラー『嫌われる勇気』の共著者であり、日本トッププロのライターである古賀史健氏が3年の年月をかけて書き上げた、『取材・執筆・推敲──書く人の教科書』(ダイヤモンド社)です。
本稿では、その全10章99項目の中から、「うまく文章や原稿が書けない」「なかなか伝わらない」「書いても読まれない」人が第一に学ぶべきポイントを、抜粋・再構成して紹介していきます。今回は、息の長いコンテンツをつくるための「読者層の見極め方」について。

ロングセラーを生み出す秘訣「10年先を見たければ、10年前を見よ」Photo: Adobe Stock

コンテンツの賞味期限を考える

 ライターの仕事をはじめた当初、ぼくの主な活動場所は雑誌でした。

 そして雑誌(とくに週刊誌)の場合、情報の「希少性」は、その「鮮度」と重なる部分が多いでしょう。駆け出し時代、おもしろそうな企画を提出しては、デスク(副編集長)のおじさんから「こんな話、おれでも知ってるよ! おれが知らない情報を出してこい!」と突き返されていました。当時おそらく40代だったデスクにとって、「おれでも知っている話」とは「鮮度の落ちた話」であり、すなわち「掲載する価値のない話」だったのです。

 そうして30歳になるころ、ぼくは書籍の世界へと活動の場を移しました。字数制限のある雑誌では書けないことが、書籍だったらたっぷり書ける。次号の発売とともに書店から消えてしまう雑誌と違って、書籍はずっと残ってくれる。そんな思いからの鞍替えでした。

 さて、ここで困ったのが、コンテンツの賞味期限です。週刊誌に求められるのは、「今週の読者」に向けた、「今週限定のコンテンツ」です。一方で本(書籍)は、今週や来週と言わず、来年や再来年の読者まで見据えておかなければなりません。わかりやすくいうと、「いま、女子高生のあいだでこんなスイーツが流行っている!」は、週刊誌の企画にはなりえても、本の企画にはなりえないのです。もっと賞味期限の長い、この先何年、何十年と読まれる、普遍的なコンテンツをつくらなければなりません。

 だとした場合、なにを指針にコンテンツをつくればいいのでしょうか。

 多くの人は「この先ずっと残るものってなんだろう?」と考えるでしょう。来年、再来年、5年後、10年後の読者をイメージして、どんなコンテンツをつくるべきかを考える。ぼくも最初、そう考えました。

 しかし、率直に言ってこれは、まったくの徒労でした。どんなに考えたところで、わかるわけがないのです、未来のことなんて。

 コンテンツの普遍性を考えるとき、見るべきは「未来」ではなく「過去」です。しかも去年や一昨年の過去ではなく、10年、50年、100年レベルでの過去です。

ロングセラーを生み出す秘訣「10年先を見たければ、10年前を見よ」古賀史健(こが・ふみたけ)
1973年福岡県生まれ。九州産業大学芸術学部卒。メガネ店勤務、出版社勤務を経て1998年にライターとして独立。著書に『取材・執筆・推敲』のほか、31言語で翻訳され世界的ベストセラーとなった『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎共著、以上ダイヤモンド社)、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(糸井重里共著、ほぼ日)、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社)など。構成・ライティングに『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(幡野広志著、ポプラ社)、『ミライの授業』(瀧本哲史著、講談社)、『ゼロ』(堀江貴文著、ダイヤモンド社)など。編著書の累計部数は1300万部を超える。2014年、ビジネス書ライターの地位向上に大きく寄与したとして、「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。翌2015年、「書くこと」に特化したライターズ・カンパニー、株式会社バトンズを設立。2021年7月よりライターのための学校「バトンズ・ライティング・カレッジ」を開校。(写真:兼下昌典)

時代を超える名著は、ただただ「普遍的」である

 たとえば、はじめてドストエフスキーを読んだときのぼくは、そこで語られている内容に「なんと現代的なテーマだ!」と驚かされました。そして「ドストエフスキーは100年後の未来を予見した、先駆的な作家だったのだ!」などと勝手に興奮しました。

 でも、それは違うのです。

 ドストエフスキーにかぎらず、古典とされる作品群を残した文豪たちは、先駆的だったわけでも進歩的だったわけでもなく、ただただ「普遍的」だったのです。その作品が普遍性を帯びていたからこそ、いまを生きるわれわれにも突き刺さるし、刊行当時にもおおきな人気を博していたのです。置かれた状況は変化しても、人間の抱える悩みなんて100年や200年の単位で変わるものではありません。

『嫌われる勇気』のターゲットは、
100年前の読者

 2013年に上梓した『嫌われる勇気』の執筆にあたってぼくは、これをあらたな古典にしたいと考えました。笑われることを承知で言えば、100年後の読者にも読まれるような本にしたいと本気で考えました。

 具体的にどうしたのか?

 100年前の読者をイメージしたのです。100年前、つまり日本でいえば大正時代の読者が読んでも理解できるような、そしておもしろく感じてもらえるような本をイメージしたのです。ですからあの本には、コンピュータやインターネット、スマートフォンやソーシャルメディアなどの話はいっさい登場しません。どころか、テレビやラジオさえも登場しない。そうした小道具に頼らずとも説明できる、人間の根源的な悩みを探っていったのです。

 また、世界中の読者に読まれることを想定して、日本社会特有の悩みを採り上げませんでした。受験や就活、儒教的な価値観など、日本の人生相談にありがちなテーマは、あえて避けました。ふつうであれば「日本では現在……」と表記するところも、「わが国では現在……」と慎重にことばを選びました。偉人のたとえにもナポレオンやアレクサンドロス大王の名を選び、日本人の名前は出しませんでした。その結果というわけではないものの、同書は現在、世界数十ヵ国で翻訳され、さまざまな言語で読まれています。普遍性を意識したコンテンツは、時間だけではなく、言語や国境の壁も越えていく可能性を──あくまで可能性を──持ってくれるのです。

100年先を見たければ、
100年前を見よう!

 インタビューやセミナーなどの場で、息の長いコンテンツをつくる秘訣、ロングセラーをつくる秘訣を質問されることがあります。しかし、そんな秘訣などおそらくありません。

 言えることがあるとすれば、「10年先を見たければ、10年前を見よう」です。「100年先を見たければ、100年前を見よう」です。いまの読者にしか通用しない、期間限定のことばを使っていないか、期間限定の議題に終始していないかチェックしましょう。そして未来を見るのではなく、それが「10年前の読者」や「100年前の読者」にも届くものなのか、考えるのです。

(続く)