メール、企画書、プレゼン資料、そしてオウンドメディアにSNS運用まで。この10年ほどの間、ビジネスパーソンにとっての「書く」機会は格段に増えています。書くことが苦手な人にとっては受難の時代ですが、その救世主となるような“教科書”が今年発売され、大きな話題を集めました。シリーズ世界累計900万部の超ベストセラー『嫌われる勇気』の共著者であり、日本トッププロのライターである古賀史健氏が3年の年月をかけて書き上げた、『取材・執筆・推敲──書く人の教科書』(ダイヤモンド社)です。
本稿では、その全10章99項目の中から、「うまく文章や原稿が書けない」「なかなか伝わらない」「書いても読まれない」人が第一に学ぶべきポイントを、抜粋・再構成して紹介していきます。今回は、原稿を書く人が持ち続けるべき心構えについて。

「座右の書」が更新されない人は、心の老化が始まっているPhoto: Adobe Stock

なぜ「座右の書」は、
10代で読破した本になるのか?

「あなたの座右の書はなんですか?」

 こう訊かれたときあなたは、どんな本を挙げるでしょうか。

 おもしろいもので「座右の書」や「人生を変えた一冊」を選ぶとき、ほとんどの人は若いころに読んだ本を挙げます。子ども時代、学生時代、せいぜい20代までのあいだに読んだ本を挙げてしまう。その後の人生でもたくさんの良書を読んできたにもかかわらず、です。おそらくぼくも、座右の書を問われたなら、20代前半に読んだドストエフスキーの長編を挙げるでしょう。迷いに迷った挙げ句、『カラマーゾフの兄弟』を挙げると思います。

 これと関連して思い出されるのが、「読書体力」ということばです。

 若いころは体力もあったし、時間もあった。だから難解な哲学書や、文豪たちの大長編を読むこともできた。しかし、40代や50代に差しかかった現在、自分はそんな時間も体力も持ち合わせていない。「読書体力」が低下したせいで、難解な大著の通読がかなわなくなった。──そんなふうに語る中高年は、かなり多くいるでしょう。

 年齢を重ね、仕事に追われ、体力がなくなり、分厚い本に気後れする。いざ読もうとしても、あのころみたいに集中して向き合うことができず、すぐに挫折してしまう。その気持ちは、痛いほどわかります。ぼくだって、自分の「読書体力」低下を実感する機会は何度となくあります。

「座右の書」が更新されない人は、心の老化が始まっている古賀史健(こが・ふみたけ)
1973年福岡県生まれ。九州産業大学芸術学部卒。メガネ店勤務、出版社勤務を経て1998年にライターとして独立。著書に『取材・執筆・推敲』のほか、31言語で翻訳され世界的ベストセラーとなった『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎共著、以上ダイヤモンド社)、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(糸井重里共著、ほぼ日)、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社)など。構成・ライティングに『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(幡野広志著、ポプラ社)、『ミライの授業』(瀧本哲史著、講談社)、『ゼロ』(堀江貴文著、ダイヤモンド社)など。編著書の累計部数は1300万部を超える。2014年、ビジネス書ライターの地位向上に大きく寄与したとして、「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。翌2015年、「書くこと」に特化したライターズ・カンパニー、株式会社バトンズを設立。2021年7月よりライターのための学校「バトンズ・ライティング・カレッジ」を開校。(写真:兼下昌典)

「読書体力低下」の正体は、
「●●」の低下だった!

 しかし、これはほんとうに「体力」の問題なのでしょうか? 時間や体力がなくなったから、イージーな読書しかできないのでしょうか? それは違うと、ぼくは思います。

 座右の書とは、その人にとっての「人生を変えた一冊」です。たとえば20代前半のぼくが『カラマーゾフの兄弟』という座右の書に出会えたのは、同作が「世界でいちばんすばらしい小説」だったからではありません。問題はどんな本を読んだかではなく、そのときの自分がどんな人間であったのか、なのです。20代前半のぼくは「人生を変える準備」ができていた。いくらでも人生を──その価値観を──揺さぶり、更新してやろうと待ちかまえていた。それだからこそ、あの本が座右の書になった。人生を変える一冊に、なってくれた。いや、ほんとうに人生を、変えてくれた。ドストエフスキーを読むのがあと10年や20年遅かったら、『カラマーゾフの兄弟』も他の長編も、座右の書にはなっていなかったかもしれません。

 一冊の本を通じて、人生を変える勇気があるか。これまで自分が受け入れてきた常識や価値観を、ひっくり返す勇気があるか。これまでの自分を全否定して、あたらしい自分に生まれ変わるつもりがあるのか。──読書体力の低下とは、体力の減退である以前に、「変わる気=こころの可塑性」の低下なのです。こころのどこかで変わること(自分の価値観が揺さぶられること)を恐れているから、ラクな本にしか手が伸びないし、良書を読んでも「座右の書」になりえないのです。

「自分」を変える勇気を持て

 もしも読書を「知識のインプット」と捉えていたなら、何百・何千の名作を読んだところで座右の書には出会えないでしょう。一方、自分を変えるつもりさえあれば、たとえ何歳になってからでも座右の書を更新することができます。座右の書が更新されることは、すなわち自分という人間が更新されることです。

 これは読書人の心構えではなく、ライターに不可欠な心構えとして聞いてください。自分を更新するつもりのない取材者は、どれほどおもしろい情報に触れても「へえー、なるほど」で終わってしまいます。情報を、他人ごととして処理してしまうのです。自分のこころを動かさないまま、自分ごとにしないまま、情報としての原稿を書いてしまうのです。そんな原稿など、おもしろくなるはずがありません。

 いい取材者であるために、自分を変える勇気を持ちましょう。

 自分を守らず、対象に染まり、何度でも自分を更新していく勇気を持ちましょう。

 他人ごととして書かれた原稿など、読者をエンターテインする「コンテンツ」にはなりえないのです。

(続く)