SNSが誕生した時期に思春期を迎え、SNSの隆盛とともに青春時代を過ごし、そして就職して大人になった、いわゆる「ゆとり世代」。彼らにとって、ネット上で誰かから常に見られている、常に評価されているということは「常識」である。それ故、この世代にとって、「承認欲求」というのは極めて厄介な大問題であるという。それは日本だけの現象ではない。海外でもやはり、フェイスブックやインスタグラムで飾った自分を表現することに明け暮れ、そのプレッシャーから病んでしまっている若者が増殖しているという。初の著書である『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)で承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた川代紗生さんもその一人だ。「承認欲求」とは果たして何なのか? 現代社会に蠢く新たな病について考察する。

私たちはいつになったら石原さとみになれるのか問題Photo: Adobe Stock

どうして私たちは石原さとみになりたいのだろうか?

私は石原さとみになりたい。

理由は簡単である。かわいいからだ。そして色気があるからだ。

そしてそう思っているのは私だけではないらしい。「石原さとみになりた~い」と口癖のように言っている知人を三人ばかり知っている。電車の中でも見たことがあるし、ネットでもしょっちゅうそんなコメントを見かける。「石原さとみメイク」なんてものもかなり頻繁に見かける。

どうしてだろう。

なんでなんだろう。

どうして私たちは石原さとみになりたいのだろうか?

どうしてまるで呪文のように「石原さとみになりたい」とつぶやいてしまうのだろうか。

石原さとみはかわいい。三十代になっても相変わらずかわいい。でも無理しているかわいさではない。若作りをしている無理やりなかわいさではないのだ。石原さとみのかわいさに痛々しさはない。ちゃんと、色気もあって、大人としても魅力的なかわいさなのである。

石原さとみはよく「あざとい」などと言われるが、むしろあのあざとさこそが彼女の最大の魅力である。往々にして「うわっ、こいつ自分のことかわいいと思ってんな~」と思われるような女というのは嫌われがちであるが、石原さとみはそうではない。自分がどう見られているか、どんな仕草をしているときの自分がかわいいか、指先から足の先まで全部、コントロールしている。自分の魅力を知り尽くしている。わかりきったうえであの表情、あの仕草、あの声の出し方である。そこが素晴らしい。

ああ石原さとみ。どうしてあなたはそんなに魅力的なのか。どうか教えてくれ。

自分という素材を最大限に魅力的に見せている、自分に最も似合うスタイルを理解しているというところが、彼女の一番の強みだと思う。私は北川景子も橋本環奈も藤田ニコルも、まあとにかくお顔が美しい女の子は誰でも大好きなのだけれど、なかでも石原さとみに惹かれてしまうのは、やはり「自分を研究し尽くしている」からだとつくづく思う。

正直に言おう。私は石原さとみがデビューしたばかりの頃、「何この野暮ったい女優!」と思っていた。さらにぶっちゃけて言おう。「これが本当にホリプロスカウトキャラバンかい」とまで思っていた。私だけではないはずだ。だってクラスの友達みんな「あのウォーターボーイズ2のヒロイン役何!?」って言ってたもん。「眉毛めっちゃ太くない?」って超言ってたし。

「この子きっともともとはかわいいんだろうに、どうしてこんな田舎っぽいんだろう」とギャルをこじらせていた当時女子中学生の私はねずみ色の眉毛をさすり、テレビを見ながら思っていた。なんだろう、この子。何がだめなんだろう。よくわかんないけど、なんかが、たぶんこの子に合ってないんだな、うん。

と、思っているうちに月日は流れ、「なんか最近石原さとみ見ないね」、なんて言っていた頃である。

「な……、何、誰!?」

衝撃が走った。