「強いチーム」が出場する必要はない
センバツには新たな挑戦をする学校を

 最後に、全く別の角度から、センバツの未来を展望して話を締めたい。

 私はかねて、「センバツの役割はもう終わった」と問いかけている。秋の優勝校や上位校が事実上選ばれるのに、「センバツ」とわざわざ名乗るのも看板に偽りありだ。

 同時に、私は常々、秋の大会はリーグ戦形式を採用し、全チームが最低でも3試合か4試合できる仕組みに変えるべきだと提言している。その後、決勝トーナメントをやるもよし、やらなくてもよし。やらないと「センバツの資料にならない」と反論されそうだが、センバツに出るのは「強いチーム」である必要は全くない。「魅力的なチーム、野球を通して自分たちや学校、地域を変革しているチーム、新たな挑戦を具現化しているチームが出場するのがセンバツだ」と決めれば、秋は各地区で優勝を決める必要もない。

 夏は野球の実力を競う選手権大会。春は野球の楽しみ方や野球を通した自己表現・社会貢献の豊かさを競う実験的な舞台。そんな色分けがあってもいいのではないだろうか。ただしもちろん、夏の大会は猛暑を避けて秋に時期を移行する。

 見ていて気持ちのいいチーム。これぞ高校野球のかがみだと多くの人に感銘を与えるチームが集うセンバツでもいい。それはもちろん、全力疾走、あいさつ、地域の清掃活動といったありがちなステレオタイプでなく(もちろんそれらも大切な心がけだが)、もっと斬新な目標とメッセージを持ったチーム、例えば、「全イニング、全員がポジションを変えるチーム」「監督がサインを出さないチーム」「初球ストライクを絶対打つチーム」といった特色でも面白い。

 どうしたら勝てるか、ではなく、どうしたらより野球を全員で楽しめるか、どうしたら固定化された野球の価値観や戦術を打破し、野球の可能性を高めることができるか。そんな高校野球がセンバツを中心に展開されたら、高校野球に大きな変革が起こる。高校生の部活動である野球部が、もっと豊かで発展的な活動になるのではないか。

(作家・スポーツライター 小林信也)