「人種・民族に関する問題は根深い…」。コロナ禍で起こった人種差別反対デモを見てそう感じた人が多かっただろう。差別や戦争、政治、経済など、実は世界で起こっている問題の”根っこ”には民族問題があることが多い。芸術や文化にも”民族”を扱ったものは非常に多く、もはやビジネスパーソンの必須教養と言ってもいいだろう。本連載では、世界96カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』(ダイヤモンド社)の内容から、多様性・SDGs時代の世界の常識をお伝えしていく。

元外交官が語る、見落とされがちな“中華民族”2つの特徴Photo: Adobe Stock

中華民族は、世界一気前がいい?

 ビジネスパーソン向けの研修の際、中国についてしばしば質問を受けますが、国際関係という視点で私が見たところ、ある意味中国ほど気前のいい国はありません。もちろん自国の国益のために、お金をばらまくという意味であり、見返りを求めてのものですが。

 たとえば、新型コロナウイルスのワクチン。効果には疑義もあるようですが、アフリカなど新興国に無償または低価格で供給しています。そこには当然、国連総会など国際社会のさまざまな場で中国に対する支持を集めたいという狙いがあります。

 歴史上の話では、遣唐使に対して「貢ぎ物の何倍ものお返しがあった」と記録されています。日本や朝鮮からの使者に対して、どの王朝でも盛大かつ手厚くもてなしたようです。

 私がこの話をすると、「気前がいいと言っても、ちゃっかり日本からODAをもらっていましたよね」という意見も出ます。しかしそれは日本側の見解で、中国側に立てば、自分たちが日中戦争や第二次世界大戦の際の賠償を放棄したことへの「ささやかな代償」と考えているはずです。

「日本人に多数の国民が殺されて酷い目にあい、本来なら日本が壊れるくらいの賠償を請求できた。それを放棄して我慢してあげたんだから、ODAくらいはもらっていいはず」

 確かに、もしも中国に巨額の賠償金を支払っていたら、日本の国家財政は逼迫し、70年代から80年代の高度経済成長は厳しいものがあったでしょう。

 今の日本が大きく変わっていた可能性があるのですから、中国に関してはODAを見ると同時に、賠償金を放棄したという寛容さにも意識を向けたほうがいいでしょう。

 現在、中国の気前の良さは、発展途上国に向けられており、特にアフリカ諸国には大量の中華マネーが流れ込んでいます。

「借金漬けにして支配しようとしている」との非難や反発もありますが、発展途上国のなかには評価する声もあり、現実として中国の影響力は、東アジアを超えて世界に広がりつつあります。

プラクティカルな思考の要因は儒教

 また、中国人の特徴として、プラクティカルな実利主義ということが挙げられるでしょう。先述した気前の良さも、プライドを満たすという点を含めた見返りという実利を求めているためです。

 インド人が、どちらかというと哲学的な思考を得意とするのに対して、中国人は実際に役立つことを重視します。古代の諸子百家や明の時代の陽明学など世界の思想史に大きな影響を与える思想家は出ていますが、中国的には例外のような存在。そもそも近代になって、西洋と接するまで哲学という漢語すらありませんでした。

 私はそのプラクティカルな思考の要因はなんであるかずっと考えてきました。そして、行きついた仮説は、儒教。儒教では死後のことをあまり扱わず、現実の世のなかにおいていかに身を処するべきかが論じられます。

 もちろんそのなかには、他人への思いやり(仁)といった概念の重要性なども論じられているので、決して「実利=自分勝手」ではありません。しかし、キリスト教やイスラム教が死後に待ち受ける最後の審判が教義の根本にあることと比較すると、儒教は現世の実利や成功に重点が置かれているといえるでしょう。

 長きにわたって官吏登用のための試験であった科挙の存在も、優秀な人を中国各地から採用するという意味では、実利的です。あまりに難しく、また合格しても激しい出世競争がありました。

 試験や出世競争から落第したゆえに詩人として成功した人も各地にいます。たとえば、唐の時代の白居易は、科挙に合格するものの、出世は十分に果たすことができず、不遇の時代の頃や退官後に多くの詩を残しました。

 同じく唐の時代の杜甫は科挙に何度も落第しました。40歳をすぎてなんとか官吏になったものの政争に巻き込まれ、苦境のなかでたくさんの詩を書きました。世界に冠たる文学作品である漢詩は、実利的な科挙の副産物であったのかもしれません。