「新幹線の父」といわれる第4代国鉄総裁の十河信二氏「新幹線の父」といわれる第4代国鉄総裁の十河信二氏 写真:近現代PL/アフロ

「新幹線の父」といわれた
国鉄総裁の十河信二

 瀬戸内海に面し西日本最高峰の石鎚山(標高1982メートル)のふもとにある西条市。江戸時代には西条藩3万石が領していた。堀に囲まれた藩陣屋跡に愛媛県立西条高校がある。経済界や文化人あるいはスポーツで活躍した、多様な人物を輩出している。

 西条高校が誇りにしている卒業生の一人は、「新幹線の父」といわれる十河(そごう)信二だ。旧制西条中学の第2期卒で、戦前の鉄道院官僚になった。西条市長を経て、1955年に71歳で第4代国鉄総裁に就いた。

 前年に青函連絡船・洞爺丸事件があり、火中の栗を拾った総裁就任時の「鉄路を枕に討ち死にする覚悟で…」というあいさつが、当時のマスコミで有名になった。2期8年の在任中、東海道新幹線の建設にまい進した。新幹線は十河が国鉄を去った後、東京五輪が開会する直前の64年10月1日に開業した。

 西条高校は1896(明治29)年に、愛媛県尋常中学校東予分校として開校した。3年後には西条中学校として独立した。

 独立した際、十河がリーダーとなって校門の旧大手門の屋根の上に地球儀を作って飾った。「この門をくぐる者は将来、世界を背負って立つべきである」と、十河は演説したという。現代風に言えば「グローバル人材のすすめ」であり、この精神は今も西条高校に受け継がれている。