その他、客寄せのために店先でサルを飼ったり、松本は相当なアイデアマンだった。51年に店舗名を片仮名のフルネームに変えたのも、とにかく目立つため。「松本薬局」なら他にもあるだろうが、「薬局マツモトキヨシ」などという店名は日本に一つしかないだろう、というわけである。
薬局経営の傍ら、松本は42年に千葉県小金町(現松戸市)の町会議員となる。2選の後、47年には千葉県議会議員選挙に出馬。6期の任期中に県議会議長まで務める。さらに69年には松戸市長選挙に出馬し、当選。松本は当選直後にまず、給料の返上を宣言。さらに「市役所は『市民のために役立つ人のいる所』」を合言葉に市民サービスの向上に務める、その象徴が市長直属の「すぐやる課」だった。その名の通り、役所特有の縦割りを廃し、市民から求められた案件ですぐできることはすぐやる部署である。その革新的な実行力は全国から注目を浴び、300を超える自治体で同様の部署がつくられた。
「週刊ダイヤモンド」1971年4月10日号に掲載された松本のインタビューでは、すぐやる課に関する経緯や裏話が事細かに披露されている。聞き手は評論家の扇谷正造。「週刊朝日」編集長などを務め、日本の週刊誌ジャーナリズムの確立に貢献した人物だ。扇谷の巧みな話の引き出し方も含め、読み応えのある記事である。(週刊ダイヤモンド/ダイヤモンド・オンライン元編集長 深澤 献)
松戸市役所労組の旗は
赤ではなく空色
――いろいろと評判ですね。僕の知っているだけでも“すぐやる課”、“年俸拝辞”、“ゴミの粉砕処理機”……矢継ぎ早ですな。
マスコミの方が連日のように取り上げてくれる。市長なんか夢にも考えてなかったもんだから、これには最初、驚いたですよ。
――市長選は1969年の1月?