「人種・民族に関する問題は根深い…」。コロナ禍で起こった人種差別反対デモを見てそう感じた人が多かっただろう。差別や戦争、政治、経済など、実は世界で起こっている問題の“根っこ”には民族問題があることが多い。芸術や文化にも“民族”を扱ったものは非常に多く、もはやビジネスパーソンの必須教養と言ってもいいだろう。本連載では、世界96カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』(ダイヤモンド社)の内容から、多様性・SDGs時代の世界の常識をお伝えしていく。
旧ユーゴスラビアはヨーロッパと中東の縮図
私の近著『ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門』では、「民族とは、言語、文化、宗教を等しくする人」としていますが、その定義はやはり難しいものです。
民族紛争は世界中で起こっていますが、争いの火種は時に領土であり、経済的な問題であり、差別や格差であり、そして宗教問題です。
これらすべての問題を内包しているのが、旧ユーゴスラビアで起きた紛争でしょう。バルカン半島に位置するユーゴスラビア王国ができたのは20世紀初め。
「ユーゴスラビア(南スラブ)」と名づけたのは、オーストリア=ハンガリー帝国から脱し、南スラブ人の国をつくろうという意思の表れであり、「ユーゴスラビア王国」に改称する以前は、「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」(セルブ・クロアート・スロベーン王国)でした。
長年オスマン帝国やハプスブルク家の支配に苦しんできた南スラブの人々にとって、独立は悲願だったのです。
しかし、同じスラブ民族であっても、中心がセルビア人というのは、クロアチア人にとっては面白くない。第二次世界大戦中にクロアチア独立国が独立したのはそのためです。
しかし、第二次世界大戦終了後、旧ソ連の支配を避けてスラブ人の国としてやっていくためには、力をあわせなければなりません。
アメリカの援助のもと、独自の共産主義国家として歩みだしたユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、セルビア、クロアチア、スロベニアだけでなく、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロという共和国の連合体となりました。
「六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字」という複雑さ。さらにセルビアのなかにはヴォイヴォディナとコソボ自治州があり、始まりからすでに、「問題が起こらないほうが不思議!」という国だったのかもしれません。
ギリシャ、ブルガリア、そしてユーゴスラビアのあるバルカン半島は、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれる紛争の多い場所。オスマン帝国とハプスブルク家の支配によって民族や宗教の構成が複雑化したためで、それは現代においても変わりませんでした。
ユーゴスラビアのなかの同じスラブ人でも、クロアチア、スロベニアはカトリックで、文化的・宗教的に西ヨーロッパに近い。セルビアは正教会で、「ザ・スラブ」といったところ。
セルビア語とクロアチア語は日本の方言よりも近いくらいであるにもかかわらず、宗教が違うために文字が異なります。
こうした事情で1990年代に入るとクロアチア、続いてスロベニアが独立を望み、ユーゴスラビア紛争が始まります。
多数派であるセルビアとの対立構造でしたが、あくまで社会主義国家ユーゴスラビアの独自路線を目指すセルビアと、EU加盟を願うクロアチアの対立、クロアチアを支援するドイツの存在がその背後にありました。
続いて、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立を求めます。ボスニア・ヘルツェゴビナの人たちも、同じセルビア語、クロアチア語を話しますが、かつてオスマン帝国の支配を受けた際に改宗したイスラム教徒。
したがって、「クロアチア人でもセルビア人でもない別の民族」と認識されています。宗教が民族を形成した1つの典型例ですが、これが悲劇を生みました。
イスラム教徒であってもキリスト教徒であっても、「ユーゴスラビア人」として、ごく普通に生活していたのに、ある日突然、宗教が違うだけで、隣人や友人と民族的な敵対関係になり、奪いあい、殺しあうことになる……。
紛争が泥沼化するなか、セルビア内コソボ自治州に住むアルバニア人が独立を求めて蜂起しました。バルカン半島の紛争は、ヨーロッパ・カトリック(クロアチア人)VSスラブ・正教会(セルビア人)VS中東・イスラム教(ボスニア・ヘルツェゴビナ、アルバニア)の三つ巴でもありました。世界の紛争の縮図にも思えます。
国連、EU、NATOも介入したすえ、2006年にモンテネグロが独立したことでユーゴスラビアは完全に解体されました。