「人種・民族に関する問題は根深い…」。コロナ禍で起こった人種差別反対デモを見てそう感じた人が多かっただろう。差別や戦争、政治、経済など、実は世界で起こっている問題の“根っこ”には民族問題があることが多い。芸術や文化にも“民族”を扱ったものは非常に多く、もはやビジネスパーソンの必須教養と言ってもいいだろう。本連載では、世界96カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』(ダイヤモンド社)の内容から、多様性・SDGs時代の世界の常識をお伝えしていく。

多様性の時代に学ぶ、織田信長の“差別なき人材登用”の話Photo: Adobe Stock

織田信長に学ぶ、人種差別のない社会

 日本人は幸か不幸か外国語が達者でない人が多いので、外国語での会話中に人種差別的な発言をするケースは少ないのが現状です。

 日本にはまた、人種や宗教、性的指向への差別によって生じる犯罪、ヘイトクライムは多くありません。

 黒人だから、イスラム教徒だからといっていきなり殴られたり、LGBTQ+だから暴力を振るわれたりする事件は非常に少ない。それでも、差別・偏見はゼロではありません。

 アイヌや在日外国人への差別、誹謗・中傷ともいえる書き込みがSNSにはたくさんありますし、黒人に対する偏見もあるでしょう。

 たとえば、私が教えているアフリカの学生は、来日当初は「日本人は差別や偏見はない」といいます。

 しかし、2年3年とつきあううちに、「黒人だとやっぱり避けられるし、積極的に交流しようとは思っていないだろう」とポロッと漏らしたりします。

 しかし、歴史を振り返ると、日本人のアフリカに対する偏見がいかに少なかったかを物語るエピソードがあります。

 戦国時代、黒人の武将である弥助を家臣として取り立てた織田信長です。信長はオランダ人宣教師が連れていた黒人を譲り受けて、弥助と名づけ、奴隷や見世物にするのではなく、家臣にした――もしも本能寺の変がなかったら、大名として取り立てていたかもしれません。

 そうなると、黒人系の大名の一族が日本に残ったかもしれず、歴史に“if”はないといいますが、想像すると何やら楽しくなってきます。

 信長のいた16世紀は、まだ奴隷貿易も本格的に始まっていませんが、この時期に黒人を認めて重用したのは、アフリカ以外の世界では、稀有な例だと思います。

「人種」という概念は、さまざまな文献によると15世紀頃にできたと思われます。それ以前も民族は交流しており、肌、髪、目の色、姿形が違うことは、お互いに認識していたでしょう。

 しかし、それをいうなら衣服も髪型も食べ物も、今より大きく違います。弁髪もちょんまげも、初めて見る人にとっては肌の色以上に衝撃だったかもしれません。

「遠くからきた人っていうのは、とにかく全然、違うものだ」

 これが近代以前のグローバルスタンダードで、人種というのはさまざまな違いの一要素にすぎず、ことさらに意識されなかったのではないでしょうか。これは私の仮説ですが、人種を意識するようになったのは、奴隷貿易以降ではないかと思います。

「違っているから面白い」

 外国からの移民が増えていくこれからは黒人を家臣とした信長にならって、思い込みを捨てていく。そこから多様性の時代のなかで、日本らしい人種問題の解決法が見えてくるかもしれません。