意外と知られていない、東ヨーロッパに残るオスマン帝国の影響
20世紀まで存在したオスマン帝国支配の名残は、日本のビジネスパーソンが想像するよりも大きいものです。
たとえば、ハンガリーなど東ヨーロッパの国のキリスト教の教会を訪れると、「文様や修飾がまるでモスクのようだ」と感じることがあります。
そこで調べてみると、「やっぱりオスマン帝国の頃のモスクを改装した教会だ」とわかったりするのです。
オスマン帝国はイスラム教への改宗を強要しなかったため、ヨーロッパ在住者でムスリムとなった人は、ボスニア・ヘルツェゴビナとアルバニア以外にはあまりいません。
それだけに、この2つの国はヨーロッパの異分子として扱われることになります。
私は2017年にボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボを訪れましたが、明らかにヨーロッパ系の顔立ちをした人が、モスクで祈りを捧げていました。
残虐な殺戮もあったユーゴスラビア紛争は、いまだ生々しい負の記憶です。サラエボを訪れた際、私は現地の日本人から、こんな話を聞きました。
「ここでも現地スタッフを数十人単位で雇用していて、みんな同じような言葉を話すし、仲良くやっています。でも、どんなに円満に見えても、絶対に民族や宗教は聞けませんよ。『彼は金曜日になるとちょっとだけいなくなるから、イスラム教徒かな? 金曜の集団礼拝に行っているのかも』と思いますけれど、うかつに触れられない。方言的な感じで『この人はセルビア人かな』と思ってもクロアチア人だったりしますし、結果的に自然にわかるのはいいけれど、話題にするのはタブーなんです」
イスラム教というオスマン帝国の残した大きな影響が「多様性」というプラスに働かず、「民族・宗教紛争」というマイナスにつながってしまったことは残念でなりません。
しかし、歴史を振り返れば、中国の清王朝が漢民族の文化を取り込みながら発展したように、異なるカルチャーを受け入れることで成功した事例がたくさんあります。
ダイバーシティの時代を生きる私たちは、旧ユーゴスラビアの歴史を学ぶことで「多様性」から生み出すべきものは対立ではないということを知ることができます。