「人種・民族に関する問題は根深い…」。コロナ禍で起こった人種差別反対デモを見てそう感じた人が多かっただろう。差別や戦争、政治、経済など、実は世界で起こっている問題の“根っこ”には民族問題があることが多い。芸術や文化にも“民族”を扱ったものは非常に多く、もはやビジネスパーソンの必須教養と言ってもいいだろう。本連載では、世界96カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』(ダイヤモンド社)の内容から、多様性・SDGs時代の世界の常識をお伝えしていく。

シンガポールがアジアのなかで大成功した根本理由Photo: Adobe Stock

 マレーシアとシンガポールは、もともと一つの国でした。イギリス植民地時代に、イギリス東インド会社のトーマス・ラッフルズが「シンガポールを主要拠点にし、大々的に貿易をしよう」と決めたことが転機となります。

 それまで人口が少なかったシンガポールに、マレー人ばかりか中国やインドから大量の移民がやってきて急速に発展します。

 その結果、現在のマレーシア側はマレー人が多く、シンガポール側は中国系の華人と呼ばれる人々が多くなりました。華人とは、現地の国籍を取った中国系の人々で、(現地の国籍を取っていない人は華僑と呼びます)東南アジアには多数居住しています。

 エリアの多数派である民族が微妙に違ってきたこともあり、マレー人と華人の対立構造が生まれ、1965年にシンガポールが分離・独立します。

 現在の両国は多民族国家で、マレーシアは人口の7割がマレー系。残り1割が中華系、1割弱がインド系というのが大まかな分布です。シンガポールは7割強が中華系、1.5割がマレー人、1割弱がインド系です。

 マレーシア、シンガポールに住むインド系の人たちの過半数はドラヴィダ系タミル人で、タミル語を話す人たちです。

 また、シンガポールは世界のなかでも比較的人種や民族がうまく融和している国の一つです。駅名など公共機関の表記は必ず英語、タミル語、マレー語、中国語が併用されるなど、すべての民族に対して注意深く目配りし、バランスをとっています。

 シンガポールが経済発展を遂げ、多民族国家として成功しているのは、アジア史上最も優れた政治家、リー・クアンユーの存在が大きいと考えられています。

 シンガポール初代首相リー・クアンユーは、独立したばかりの若い国を経済発展させるために英語化を進めました。「資源や産業のないシンガポールは、国際金融業、サービス業を強化すべきだ。それには英語が不可欠だ」というケンブリッジ大学仕込みの判断もあったでしょう。

 国内政策としても英語の公用語化は優れたアイデアでした。なぜなら、タミル人、中国人、マレー人にとって、英語は外国語です。母語と共通語の間にどの民族も同じ距離があることで、誰にとっても言葉のハンデがなくなります。

 クアンユーは分離独立前のマレーシアの生まれですが、祖父の代に移住してきた漢民族であり、エリートの家柄でした。幼い頃から高い教育を受けたゆえに英語が堪能だったのですが、もし彼が漢民族である出自にこだわり、中国語を共通語としたら、今日のシンガポールはなかったでしょう。

 観光情報として「ガムを嚙んだら罰金を取られるので注意!」とあるほど、シンガポールはルールに厳しいことで知られていますが、違う価値観を持つ人の複雑な集まりには暗黙の了解や秩序は生まれにくく、だからこそ、クアンユーはたくさんのルールを作りました。

 さらに彼は、優秀な人材には莫大なお金をかけてエリートに育て、官僚になってもらうという施策も打ち出しています。

 現実の問題として、シンガポールにも差別はあり、インド系住民の差別的な扱いがメディアに載ることもあります。シンガポールのエリート層は、多数派である中国系で占められていることも事実です。

 しかし、他国の差別に比べれば非常に小さいといえるのは、クアンユー亡き後も、国家として「人種差別は許さない」という決意を強烈に打ち出しているためでしょう。

 ちなみに現在のマレーシアは、中国系国家シンガポールへの反動もあり、マレー人を優遇する政策をとっています。政治家や官僚はマレー人が多く、企業家や資産家は中華系ということで役割分担されています。