自国主義の趨勢を洞察したバッハ会長

 ある意味、時勢に合わせて五輪を存続させてきた歴史であるから、ご都合主義とやゆされることになる。それを念頭に置いて、「政治的中立」という概念を明確に示し、オリンピック憲章に登場させたのは、他ならぬ現IOC会長バッハ氏である。

 2015年に、北京冬季五輪の2022年開催が決定した直後から、世界の風潮が明らかに変わり始めていた。2016年に英国で国民投票でのEU離脱が選択され、2017年米国のトランプ政権が誕生。

 自国主義の趨勢を洞察したバッハ会長は2018年10月9日、第133次IOC総会でオリンピック憲章を改正して、「政治的中立」という言葉を入れた。それまでスポーツやオリンピックの政治からの自律を規定してきた条文に、明確に「政治的」中立を入れたのである。

 冷戦崩壊後の世界で緩和された東西対立に代わり、権威主義と民主主義の対立が台頭し、それが五輪開催の障害になる。政治からの自律とともに、一歩進んでどんな政治体制にも対等であるIOCのあり方を措定しなければならなかった。

 2019年10月、ドーハでの国内オリンピック委員会連合(ANOC)総会でバッハ会長が行った演説が今も脳裏に響く。「オリンピック運動は中立でなければならない」という意味合いで、慣用句「It takes two to tango!」を連発した。タンゴを踊るには二人が必要。どちらかに偏らないことが肝要であるということだ。

 IOCは政治的中立を保つことで、世界の選手たちを4年に1度のオリンピックに集めることができる。選手たちのパフォーマンス、彼らの表現するストーリーが世界の人々に「共に生きる」ことを伝える場を作る。そのための「政治的中立」の表明は、しかし別の意味で逆にIOCを「政治的」にする諸刃の剣でもある。