昨夏、東京五輪があったということを忘れている人もいるのではないだろうか。1964年の五輪の頃とは異なり、日本も世界も五輪に向ける目が厳しくなっている。2022年は北京五輪だが、彭帥選手の騒動をはじめ、中国への批判はもちろん、バッハIOC会長も疑念の目で見られているありさまだ。東京2020の意義は本当にあったのか。これからの五輪の行く末を考える。(元JOC職員・五輪アナリスト 春日良一)
単なるひと夏の記憶?東京2020の意義は何だったのか
2021年12月13日(現地時間)に、パリ五輪組織委が発表した開会式の構想はオリンピックへの疑いを吹き飛ばすような爽快感があった。
パリ中心部を流れるセーヌ川が会場となり、選手たちは160隻の船に乗って入場行進するというのだ。上流のオステルリッツ橋からエッフェル塔近くのイエナ橋まで約6キロの区間を下り、川沿いに点在するルーブル美術館やノートルダム大聖堂(修復中)といった歴史的な観光名所を含む史跡を一期一会の壮観として、世界に披露する。そして、川岸のみなもに近い部分や橋に有料の観客席を設け、それ以外の場所では無料で開会式が見られる。少なくとも60万人が開会式を直接見ることができるという。
これまでにない天下無双の姿だ。
爽快を感じたのは、東京2020の印象が複雑なものだったからだ。開会直前に4度目の緊急事態宣言を発令せざるを得ない感染状況となった中で、開催への日本国内の反発は強かった。
しかし、実際に開幕すると開会式の視聴率は56.4%(関東地区)で1964年の東京五輪の61.2%に迫るものとなった。日本の選手が活躍し、世界のアスリートの躍動が伝わると、五輪に対する空気は明らかに変わった。
また、直前まで開催に懐疑的だったテレビのワイドショーや新聞の論調も五輪を盛り上げた。それまでの開催反対の大合唱に対して、五輪開催の意味を説き、連日テレビで孤軍奮闘してきた私にとってこの変化は驚きであった。さらに、パラリンピックが障害を抱えながら自分の夢を実現していく選手たちの姿を伝えるようになると日本の空気は温かいものに変わっていった。
しかし、東京2020が終わって4カ月がたつ今、日本の人々の心に五輪は残っているのだろうか?とふと疑問が湧く。1964年の東京オリンピックは同時代を生きた人々の心に57年の歳月を得てもポジティブな記憶を残している。東京2020はひと夏の夢のように消えている気がするのだ。
今、新型コロナの感染状況も低調となっている中で、五輪開催か中止かの議論も忘却の彼方にある。五輪は開催すべきだったのか否かを問う番組もない。老舗の徹底討論番組「朝まで生テレビ!」も開幕前には3回の激論の機会があり参戦したが、五輪終了以降はテーマにもならない。
果たして東京2020の意義は何であったのか?