新規事業の単なる予算超過を
背任行為にすり替える巧妙な罠

 時計の針を、武雄が激怒する1カ月前に戻そう。佃が何度も武雄に報告していた、宏之の独断による失策というウソの報告を既成事実化するための作業がロッテHDの取締役会で進められていた。部外者から見れば、新規事業の単なる予算超過を背任行為であると針小棒大に騒ぎ立てただけの話なのだが、後の裁判で争点となる部分もあるので、少し冗長で蛇足的な説明となることを御容赦いただきたい。

 14年11月19日に東京本社で開かれたロッテHDの取締役会。議長の佃社長に促されて発言を始めたのは、ある監査役で、「本事業には、契約通りに支払いがなされたかどうか、支払い手続きに瑕疵がなかったかどうかという問題がある」と持っていた紙を読み上げた。この監査役はこれまで、特定の事業について「問題がある」といった発言をしたことは一度もなかったし、出社は週1日程度で、取締役会で報告される議案以外に会社の事業内容を詳しく知る機会などほとんどなかった人物だ。そうした経緯から考えると、読み上げた文書は別の人物によって作成されたことは想像に難くなかった。

 監査役が言う「本事業」とは、宏之が社長を務めるロッテのグループ会社の一つ「ロッテサービス」において、同社の課長が発案し、実用化の研究と事業化への準備が進められていたものだ。具体的にはスーパーやコンビニエンスストアの商品陳列棚を撮影し、その画像データを解析して自社のマーケティングに役立てるだけでなく、その解析データを消費財メーカーなどに販売するビジネスだった。今で言うビッグデータを用いたマーケティングビジネスである。

 この事業は、パナソニックの子会社「POOLIKA(プーリカ)」が展開する予定で、人員の増強も計画されていた。そのために3億5000万円の追加投資が必要になり、その是非がロッテの総務・人事担当や財務担当の役員らで検討された。これが13年8月のことである。出席していた役員の証言によると、「追加投資を行うこと自体については特段問題とならず、追加投資のために融資を行うと、投資額が同社の純資産額を超える。これに関して財務上の問題がないかという点と、退職給付引当金をどのように用立てるかという点が話し合われた」という。

 ところが14年になってパナソニックがプーリカを吸収する計画を持っていることが明らかになった。パナソニックに主導権が移れば、これまでの投資は回収できるだろうが、これから得られるであろう将来の利益がパナソニックに吸い上げられてしまう懸念がある。すでにシステム開発が終わり、ランニングコストさえ捻出できればデータ販売で売り上げを見込めるまでになっていた。それだけに、事業発案者である課長は別の新会社の設立も検討したが、資金調達がかなわず、結局、新事業は停滞する。もちろん、一連の経緯をすべての役員が理解しており、事業の停滞が糾弾されたり、課長が叱責されたりするようなこともなかった。大企業にとって、新規事業の停滞など日常茶飯事だからだ。

 にもかかわらず、前述した通り、監査役は突如、この事業を「問題あり」として取り上げたのである。それ自体が異例のことであったが、後に重要な意味を持ってくるのが、監査役がなにを「問題」としたかである。出席者によると、監査役は「プーリカからの支払請求について、内容を吟味して支払いがなされていなかったのではないかという支払い手続きに関する問題」であるとした。つまり、資金を当初予定より多く使った予算超過ではなく、資金の支払い手続き、すなわち宏之の決裁が問題であると、論点がすり替えられてしまったのである。

 だが、当時のロッテグループの決裁権限規程には新規事業に関する明確なルールはなく、もちろん発案者の課長の規程違反を問うような悪質な事例ともいえないので、今後、規程の見直しを進めることを確認しただけで終わったという。つまりは、支払い手続きには何の問題も無かったということであり、なぜ、監査役がそんな解決済みの事案を今頃になってわざわざほじくり返すのかは謎だった。

 実は、これが巧妙な一手であり、後から振り返れば‟罠”と表現してもよいほどだ。監査役が宏之の資金の使い方に問題があると取締役会で指摘した(あくまで指摘しただけだが)という事実が議事録に記録されるのが狙いだったと見られるからだ。実際、この一連の経緯が、宏之の経営上の落ち度であり、その経営責任は極めて重大で、社長職を辞するに値するとされる事態につながっていくのである。後のことだが、宏之が提訴した訴訟などの場で、佃らが解職の理由として挙げたのは、プーリカとの事業にビジネスの適法性や小売業者との信頼関係を悪化させるリスクなどの点で問題があったからだというものだ。

 だが、すでに述べたように、14年11月の取締役会で監査役の指摘を踏まえて議論したのは、支払い手続きと決裁権限規程の新たなルール作りだった。当時、総務・人事担当常務で取締役会にも出席していた野田光雄は、「(11月の)取締役会ではロッテサービスの社長である宏之氏の責任を問う意見は誰からも述べられていません。したがって(佃や小林らが主張する事業責任を問う)解任理由は、宏之氏を解任させた後に、後付けで考えられたものであるとしか考えられません」と証言する。

 武雄・宏之親子の追放に向けて張りめぐらされた巧妙な罠が2人を絡め取り始めていたが、当時の武雄や宏之がその事実を知るよしもなかった。