魑魅魍魎のクーデターですべてを失った、ロッテ重光の「末路」

ピーク時には連結売上高が7兆円に迫った大財閥ロッテグループを一代で築き上げた重光武雄(韓国名・辛格浩=シン・キョクホ)。売上高のほとんどは韓国のロッテグループによるものだが、日韓のグループ経営の支配権は、日本のロッテホールディングス(ロッテHD)が握っていた。

武雄は、長男、宏之に事業承継を行うべく、ロッテHDを頂点とする資本、組織、人員の再構成を勧めたが、二男の昭夫は、兄はおろか創業者である父をも放逐してロッテHDの経営権を奪取した。しかしロッテHDの31%超の株式を、宏之が筆頭株主である資産管理会社「光潤社」が握り、経営権は支配できたものの資本支配はできていないといういびつな構造が続いている。

数十年をかけて準備してきた様々な事業承継策がどのように覆され、二男による“クーデター”を可能にしたのか。そこからは事業承継にかかわる重要な教訓が浮かび上がってくる。(ライター 船木春仁)

二男にすべてを奪われて
“平成のリア王”と化した武雄

 晩年に認知症が進んでしまっても、武雄はある人物の名を聞くと、怒りで全身を震わせたという。そんな父の無念さを、長男の宏之も共有していた。

 武雄が怒りで身を震わせた名は「昭夫」。武雄の二男であり、現在、日韓のロッテグループの頂点に立つ持株会社ロッテホールディングス(ロッテHD)の重光昭夫会長である。

 武雄が怒りに身を震わせるのも無理は無い。今から約80年前、武雄は18歳で、文字通り裸一貫で日本に渡り、日本トップクラスの菓子メーカー「ロッテ」を築き上げ、その利益を母国の韓国に投資することで、韓国第5位の大財閥ロッテグループを一代で築き挙げた。そんなロッテ王国を長男の宏之に承継させるべく30年以上を費やして、ロッテグループの資本構成や人員・組織を再構成し準備を進めていたのだった。

 ところが、最晩年とも言うべき2014年、数え年で94歳の武雄は、オーナー創業者として経営手腕を振るってきたロッテHDの代表権を剥奪され、会長職を解任され、ロッテ王国を追放されてしまうのである。しかも、武雄の実の妹である「辛貞淑」(シン・ジョンスク)が武雄の「成年後見」を申し立て、「限定後見」が認められた武雄は実質的な軟禁状態、つまりは座敷牢につながれ、もはや反撃すらできなくなってしまったのである。こうしたロッテグループからの追放や後見認定などを主導したのが昭夫であり、このクーデターで昭夫は武雄の築いたロッテ王国を奪いとることに成功したのである。

 武雄が悔やんでも悔やみきれないのは、昭夫のクーデターの口火となったのが自身の失言であることだ。幾重にも張り巡らされた巧妙な罠に引っかかった結果とはいえ、武雄は当時の佃孝之・ロッテHD社長が何度もソウルにやってきては繰り返す「宏之副会長が経営陣の戒めも聞かずに巨額IT投資を行って大損を出した」という虚偽報告を信じこまされてしまった。同じ頃、韓国のロッテグループにいた頃から昭夫の手下で、ロッテHD専務に転じた小林正元は、重光家の執事でもお手伝いでもないのに、宏之の保有株を相続に備えて移動させようとしたり、役員持株会の議決権を掌握しようと奔走し、宏之追放のお膳立てを整えつつあった。

 結局、佃のウソを真に受けて武雄は宏之に「クビだ」と口を滑らせるが、もちろん、これは親子げんかの口論の決まり文句で本意でないのは明らかだった。だが佃や昭夫は、武雄の言葉を錦の御旗にして、宏之からロッテ本体はおろか、子会社を含めたすべての役職を奪い去り、ロッテグループから追放してしまうのである。

 そんな無茶苦茶なクーデターを武雄が知ったのは、宏之が半年ぶりに武雄と面会できた半年後のことだ。激怒した武雄は佃、小林、昭夫の3人にクビを宣告するが、前述したとおり、逆に、武雄は彼ら3人によって、ロッテのすべてを奪われてしまう。

 まさしく最晩年の武雄は、悲劇の王、リア王そのものだったといってもよいかもしれない。甘言を弄する長女と二女に国を譲った老王は国を追放され、自身が追放した三女の助力で2人と戦うが敗れてしまい、結局、三女も王も死んでしまうリア王の悲劇。それは、嘘で塗り固めた告げ口で長男を追放し、後に自身も二男によってグループを追放され、長男と共に挑んだ経営権奪還の戦いの半ばで病に伏し、失意のうちに死を迎えた武雄の軌跡と見事なまでに重なる。リア王の長女と次女は天罰が下って悲惨な最期を迎えるが、“平成のリア王”の終幕もそう遠い先のことではないだろう。

 なぜ、創業者であり、大株主でもある武雄・宏之親子がロッテグループのすべてを奪われてしまったのか。彼らを陥れた巧妙な罠と、昭夫、佃、小林の下剋上トリオの暗躍は本連載3回目以降で明らかにしよう。