武雄の「クビだ!」を錦の御旗に
宏之の追放へ一気に動き出す

 宏之が武雄に激怒されて日本に戻ったわずか2日後の12月19日。ロッテHDの役員に急きょ、ソウルの武雄の下へ集合せよという招集がかかった。その時の様子を、前出の野田常務はこう振り返る。

「いきなり、『武雄会長が常務以上の役員を呼んでいるから』ということでソウルに向かいました。佃社長に『どんな用件なのですか』と聞くと、『わからない』という返答でした。だから事業報告だと思って、分厚い資料を持っていったのです。また宏之氏からは、『武雄会長から辞めろと叱られた』という話は聞いていましたが、それは親子間のことですから本気ではないし、まさかそれが議題になるとは思ってもいませんでした。しかし一方で、年末の繁忙期だというのに、ビジネスクラスのチケットを急に用意することができたのかと不思議に思ったものです」

 当時のロッテHDの取締役は8人で、武雄と宏之、そしてソウルにいた昭夫の重光家3人を除いた5人がソウルへと向かった。武雄を訪ねるなり、佃と小林正元専務は、宏之が独断で進めたIT事業で大赤字を出したという説明をいきなり始めた。武雄会長から用件もわからぬまま呼び出されたはずだったが、宏之の糾弾が訪韓目的であったかのように、何度も非難を繰り返すのである。

 ちなみに先の小林は、90年代半ばに韓国へ軸足を移した昭夫の子飼いの部下である。三和銀行のロッテ担当から昭夫の引きで03年に韓国ロッテキャピタル(リース・事業者金融)に転じ、12年間も代表取締役を務めた。だが、経営の中枢を韓国人で占める韓国ロッテグループではあくまで“外様”扱い。そこで昭夫は16年のロッテHDの役員補充に際して小林を推挙する。詳しくは章を改めて述べるが、クーデターで小林が果たした役割を見ると、小林は昭夫が韓国から宏之解任のために差し向けた刺客であり、昭夫と佃をつなぐパイプ役兼監視役という、まるで映画のスパイのような存在だった。

 話を総括会長執務室に戻そう。佃や小林の非難を聞いても、武雄は2日前に宏之に示したような怒りを見せず、「宏之を辞めさせる」とも言わない。「クビだ」云々は、親子げんかで怒りにまかせて発した言葉であり、それが本意でないのは、武雄に長年仕えた者ならば誰にでもわかることだった。だが、小林が絶妙なかたちで質問を投げかけた。

「一昨日、宏之氏をクビにしたことは本当ですか」

 口にした事実があったかどうかの有無を問われれば、口にしたのは確かだから「そうだ」と答えた。武雄にも強いプライドがあるから「あれは売り言葉に買い言葉の類いだから」とは言えないのを承知の上での絶妙な尋ね方だった。これで‟天の声”が出たことになる。

 しかし不思議なことに、「クビ」の話は、宏之にどの会社を辞めさせることなのか具体的なことはまったく出なかった。執拗に質問を繰り返していた佃も小林も、目的を達したからなのか、それ以上は尋ねない。先の野田も、「宏之氏を辞任させるのは、(子会社の)ロッテサービスが実施したプーリカとの事業に不都合があったとの理由でしたから、私は宏之氏が辞任させられるのはロッテサービス(の社長)のみか、もしくは、しばらく休ませる程度の話だと思っていました」と証言する(*2)。

 週末・金曜のソウル招集から土日の休日を挟んだ月曜の12月22日。わずか3日後にロッテHDの取締役会が開かれた。宏之は、武雄の怒りが解けるまで謹慎すべく、取締役会も欠席していた。

 取締役会に出席した野田は思わず自分の目を疑った。そこには、宏之が社長を務めるグループ会社26社すべての辞任届が用意され、後は、宏之のサインをもらうだけという準備が整っていたのである。

 佃や小林は、宏之の辞任はあくまで武雄からの指示であることを強調したうえで、取締役会で宏之に26社すべてにおいて役員辞任を求め、拒否した場合は解職・解任する旨を決議した。取締役会後にはグループの事業会社の役員も参加する経営会議が開かれ、そこで同様の説明がなされた。

 宏之は、自身が大きな陥穽に落とされつつあることを、欠席した取締役会開催の2日後、12月24日になって初めて気付いた。

「野田さんがやってきて、私が取締役を務めるすべての会社の名前が書かれたリストを示し、辞任するんだったらサインがほしいと言われました」

 一方で佃は驚くほど用意周到だった。武雄の妻であるハツ子に手紙を書き、宏之批判を展開したうえで、それを理由に解職・解任することも明らかにしていた。手紙にはこう書かれていた。

「総合的に判断してロッテのために総括会長が解任をご決断されたと理解しております。(中略)御奥様から宏之副会長に辞任をいただけますよう、お話しいただければ幸いに存じます」

 父と息子のこじれた親子喧嘩を母が収めるのは世間ではよくあることだが、そんな‟和平工作”の道もすでに塞いであったのだ。

*2 2017年5月31日付東京地方裁判所民事第8部乙合議係宛野田光雄陳述書他