料理なんかじゃ、人と人は繋がれない
結論から言うと、バターチキンカレーの効果はそれほど長くは続かなかった。
彼にもう会えない、もう私のものではない、という事実がとてつもなく悲しかったけれど、それは覆しようのない事実だった。
どうして、と思った。
マニュアル本に書いてあることは全部実践したつもりだった。いつも笑顔でいた。彼の話は一生懸命聞いた。「聞き上手」になろうと徹していたし、「男は褒めるべし」という助言はそのまま実行した。彼のいいところを見つけて褒めた。悪い女じゃなかったはずだった。悪くないはずだった。いつも彼といて楽しそうにしていた。気も合う。気配りだってそれなりにできる。料理だって、できる。本格的なバターチキンカレーだって、作れる。それなのに。
私と別れたら、もうあのバターチキンカレーは作ってもらえないんだよ、と思った。そう伝えたかった。主張したかった。本当にいいの? と。あんなにおいしい、って言ってたのに。「またあれ食べたい」って言ってたのに。「また作ってあげるね」って約束したじゃん。いいの? 本当にいいの? 私と別れたら、もう一生、食べられないんだよ。レシピだって、教えてあげないよ?
そう強く、言いたかった。彼の胸ぐらを掴みながら、泣きながら訴えたかった。でも言わなかった。そのとき気がついたからだ。別に「得意料理」なんてものが、恋愛において大した繋がりになんかならないことに。性欲と愛情の間にそびえ立つ壁をぶち壊すのは、料理なんかじゃないのだ。そんな、スペックなんかで繋がれるものじゃないのだ。「これができる」と箇条書きにできるような魅力で、人と人は繋がれない。
私は間違っていた。恋愛をゲームだと思っていた。次はこれ、次はこれ。今は何ポイント貯まってるから、相手にはこれくらい求めてもいい。スーパーマリオとか、ポケモンとか、ドラクエみたいに、ある程度条件を満たしたら、これがクリアできる、みたいなゲームだと勘違いしていた。だからマニュアル通りにやれば相手を動かせると思った。相手を自分のものにできると思った。相手の心をゲットできると思った。モンスターボールを投げるみたいに、単純だと思っていた。普通のモンスターボールで捕まえられないのなら、スーパーボールやハイパーボールを手に入れればいい。スペックを上げれば必ずその成果は出ると信じていた。
そんなわかりやすい仕組みでほしい人が手に入るなら、みんな悩んだりしないよ、バカ。自分がなさけないと思った。もっとかわいくなったら。もっと相手を褒めれば。もっと楽しそうにしていれば。料理の腕前が上がれば。誰でも作れるような普通の料理じゃなくて、本格的な、たとえばスパイスから作るバターチキンカレーとか、そういうのができれば、私はもっと愛してもらえるのに。
変な下心と独占欲が爆発して、私の心の中で飽和状態になっていた。
結局彼とは別れて、「料理上手アピール」をすることもなくなった。恋愛マニュアル本を実践することもやめた。結局素直に、いつも通りの自分でいるのが一番だなと思うようになった。
以来、バターチキンカレーを彼氏に振る舞うということはなくなった。仕事も忙しくなって、そもそも彼氏のために手料理を作るというチャンスも極端に減った。あまりに仕事が忙しいので、自炊すらしなくなってしまった。きっと今後誰かに料理を振る舞うとすれば、結婚してからだろうなと思っていた。