人を動かすのは、「狂」であり、「愛情」である
「ランチ、出そう!」
けれども、私のバターチキンカレーが再び日の目を見る機会は、意外な形でやってきた。
私が働いていた書店兼カフェは、大々的にリニューアルをした。レイアウトも変わり、選書も一から全部やり直し、カフェメニューも一新した。コンセプトから何から、全部がらりと変えた。
カフェに新メニューも加わったので、結構変わったなあと思ったけれど、何かが足りないような気がした。
「狂」が、足りない。
本気でこれを食べてほしい。これを味わってほしい。自分はこれが本当に大好きだから、この「好き」を、一緒に体験してほしい。
「コンテンツを制作する上では、誰にも負けない『狂』が込められている必要がある」
これは、私が入社して以来、幾度となく上司から言われていることだった。
他人から見れば「おかしいんじゃないか」と言われるほどの、強烈な熱量を伝える必要があるのだ、と。
ああ、そうだ、と思った。恋愛も、店作りも、同じことなのかもしれない。
私に足りなかったのは、「狂」であり、「愛情」だった。相手を動かすような、熱量だった。
「何かが足りない」という直感はおそらく正しくて、けれどもその「何か」はきっと、単純に言語化できるようなスペックやスキルではないのだ。
私は結局「自分を愛してほしい」という思いばかり強くて、相手を幸せにしてあげたいとか、相手のためになりたいとか、そういう思いは二の次だった。いかに好きになってもらうかとか、いかに自分に惚れさせるかとか、どんな言葉をもらったとか、どんなプレゼントをもらったとか、目に見えるものばかりを重視していた。
でも、そうじゃない。
綺麗事かもしれないけれど、他人から見れば、薄っぺらく感じるかもしれないけれど、でも、私はそう思う。人を動かすのは、「狂」であり、「愛情」なのだ。誰かを好きになり、誰かと真正面からぶつかり合うとき、箇条書きにできるようなスキルに、スペックに、はたしてどんな意味があるだろうか。
今、もっともっといい店に、もっともっと面白い空間にするために、どうしたらいいかと考えたとき、ふっと頭に浮かんだのは、バターチキンカレーのことだった。
「愛されたい」という強烈な思いに突き動かされて完成した、バターチキンカレー。
それは愛情のベクトルが逆の方向を向いてしまっていたばかりに、こじれてしまったけれど、それでも私が「狂」を込めて、本当のおいしさを求めて作ったことには変わりない。
切ない思い出としてしまわれていたバターチキンカレーがまさか、こんな形で日の目を見ることになるなんて思ってもいなかったけれど。
面白いやら切ないやら、なんだか複雑な気持ちで、久しぶりに食べたバターチキンカレーは、やっぱりおいしかった。まろやかなバターに、様々なスパイスの香りがくるまれて、それなりに辛さはあるけれど、どこか柔らかい。やっぱりあの頃、色々と研究しただけのことはあるな、とひとり思った。
ということで、このバターチキンカレーは、私が働く書店兼カフェの常駐メニューになった。
自分で言うのもなんだが、ちょっと意外なほどおいしく仕上がったと思う。
あとはやっぱり、どこか切ない味がするかもしれない。
とはいえ、最初にバターチキンカレーを作っていた頃と今とでは、ずいぶん気の持ちようが違うのだ。
愛されたい、大事にされたい。いい女だと思われたい。
そんな思いに突き動かされていたはずだった。
でも今は。
来た人に喜んでほしいとか、もっと笑ってほしいとか、いい体験をしたと思ってほしい、とか。
ドロドロとした自分本位の感情は完全に消えたわけでは、もちろんない。けれども、そんな承認欲求とはまた別の、愛情が生まれてきているような気がするのだ。
こう思ってしまうのは、うぬぼれだろうか。思い込みだろうか。
あるいは、そうかもしれない。
けれども、だとしても、こうして少しずつでも、自分のことを「悪くないな」とか。
昔とは違う感情でバターチキンカレーを作っている今の自分は、結構好きかもしれない、とか。
自分が本気で良いと思っているものを提供し、本気で面白いと思う空間を自分の手で作ることができている今が、とても尊いもののように思えるのだ。
1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。
2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。
「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。
メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。
現在はフリーランスライターとしても活動中。
『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。