SNSが誕生した時期に思春期を迎え、SNSの隆盛とともに青春時代を過ごし、そして就職して大人になった、いわゆる「ゆとり世代」。彼らにとって、ネット上で誰かから常に見られている、常に評価されているということは「常識」である。それゆえこの世代にとって、「承認欲求」というのは極めて厄介な大問題であるという。それは日本だけの現象ではない。海外でもやはり、フェイスブックやインスタグラムで飾った自分を表現することに明け暮れ、そのプレッシャーから病んでしまっている若者が増殖しているという。初の著書である『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)で承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた川代紗生さんもその一人だ。当連載では、「承認欲求」という現代社会に蠢く新たな病について様々な角度から考察する(本編は書籍には含まれていない番外編です)。

「匿名」という名の戦争Photo: Adobe Stock

突然、耳に飛び込んでくる、名前のない声

名前のない声と戦っている。

その声は、どこから聞こえてくるのかはわからない。いつ、どこで発生したのかもわからない。けれども突然、耳に飛び込んでくることがある。

私が何か、行動を取ろうとすると、ふいに、声がきこえるのだ。

「誰にも求められてない」
「なんでそんなことやってるの?」

どうしてかはわからないけれど、聞こえてくる。

その声は、匿名だ。顔も名前もわからない、のっぺらぼうなのだ。

その、のっぺらぼうたちが、何を求めて私の頭の中にやってきているのかはわからないけれど、ただ頭の中でその声が、リフレインする。ぐわん、ぐわんぐわんと、何度も。

その声に振り回されないようにしよう、とは思うのに、どうしてだろう、私はその声を無視することができない。一度耳に入ってきたら、止められない。気になって気になって、それ以外のことを考えられなくなるのだ。

あるいは、私は人からの評価を気にしすぎているのかもしれなかった。

こう思われたらどうしよう、こんな風に感じさせてしまっていたらどうしよう、バカだと思われていたらどうしよう、あいつ調子に乗っていると思われたらどうしよう。

他人の目を気にする私の臆病な心が、他者からの評価を先回りして、私の頭の中で警告しているのかもしれなかった。

あるいは、遠くのどこかで見た、他者から他者への評価を、自分に重ね合わせてしまっているのかもしれなかった。

恐ろしいことに、今の世の中は、他人の声が聞こえすぎる。あまりにクリアに、オブラートに包むこともなく、他人の悪意が、そっくりそのまま私の耳に入ってくる。

「頭おかしいんですか?」
「どうしてこの人、自分が間違っているって気がつかないんだろう」
「不快です。そのような発言はしないでほしかった」
「みんなこう思ってますよ」

毎日、スマホを開き、SNSを見るたびに、私の目に飛び込んでくるのは、匿名の悪口たちだ。匿名の批判たちだ。匿名の意見。匿名の怒り。匿名の攻撃。世界では、常に誰かが怒り、誰かが泣き、誰かが悲しみ、そしてそのネガティブな感情たちを、「匿名ではない誰か」にぶつけている。匿名な声たちが、攻撃の手を止めることはない。よくわからない食べ物や、風景や、猫や、キャラクターや、芸能人の顔写真たちが、丸い枠の中に収められていて、そして、よくわからない仮の名前がついていて。リアルの場では、誰が、どんな顔で、どんな性別で、どんな表情で、どんな声色で、それを主張しているのか、推測することができなくて……。