発売直後から大きな話題を呼び、中国・ドイツ・韓国・ブラジル・ロシア・ベトナム・ロシアなど世界各国にも広がった「学び直し本」の圧倒的ロングセラーシリーズ「Big Fat Notebook」の日本版が刊行される。本村凌二氏(東京大学名誉教授)「人間が経験できるのはせいぜい100年ぐらい。でも、人類の文明史には5000年の経験がつまっている。わかりやすい世界史の学習は、読者の幸運である」、COTEN RADIO(深井龍之介氏 楊睿之氏 樋口聖典氏・ポッドキャスト「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」)「ただ知識を得るだけではない、世界史を見る重要な観点を手に入れられる本! 僕たちも欲しいです」、佐藤優氏(作家)「世界史の全体像がよくわかる。高度な内容をやさしくかみ砕いた本。社会人の世界史の教科書にも最適だ」と絶賛されている。本記事では、全世界700万人が感動した同シリーズの世界史編『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』より、本文の一部を抜粋・紹介します。

【ヨーロッパの君主制に学ぶ】国家を繁栄させる「有能なリーダー」と反乱をまねく「無能なリーダー」Photo: Adobe Stock

君主制の台頭

 ヨーロッパ全土で、統治形態の一種として、君主制が台頭した。国家の状況を改善した君主たちもいれば、その一方で権力を乱用して反乱を招いてしまった君主たちもいた。

【ヨーロッパの君主制に学ぶ】国家を繁栄させる「有能なリーダー」と反乱をまねく「無能なリーダー」

スペインの君主たち

 スペインのカルロス1世は、神聖ローマ帝国を受け継ぐと、カール5世となった(マルティン=ルターを追放した人物だ)。1556年に彼が退位すると、弟のフェルディナントが神聖ローマ帝国を受け継ぎ、息子のフェリペ2世がスペイン王となった。

 フェリペ2世は、絶対支配をしいた。つまり、政府や人民を徹底的に支配した、ということだ。彼は「誤った」信仰を持つ人々を裁く審問を率いる権力を握っていて、たくさんのプロテスタント、ユダヤ人、イスラーム教徒を、スペインから排除していった。

 ところが、彼の無敵艦隊によるイングランド征服が失敗に終わると、スペインの力は衰退していく。

ルイ13世下のフランス

 フランスでも、同じく絶対王政がしかれた。アンリ4世は、カトリックに改宗したあと、ユグノー(フランスのプロテスタント。フランス人口全体から見ればほんの一部だったけれど、フランス貴族の半数近くを占めていた)とカトリックの融和を進めた。

 アンリのあと、王の座を受け継いだルイ13世は、当時まだ幼かったので、アルマン=ジャン=デュ=プレシー=ド=リシュリューが、ルイ13世と母で摂政のマリー=ド=メディシスの統治を手助けし、国内の秩序を保った。

 リシュリューは、プロテスタントの政府と関係を築き、ユグノーの信仰の権利を認めはしたけれど、その一方で、ユグノーが力をつけすぎないよう、政治的・軍事的な権利を奪った。権力を失うことへの恐れから、リシュリューは、不満を持った貴族たちの陰謀をあばくためのスパイ網まで築いたというから驚きだ。

 そうして、陰謀をつぶし、陰謀者たちを処刑していったのだ。

フランスの「太陽王」

 ルイ14世は、1643年にフランス王国を受け継いだとき、たったの4歳だった。そんな彼に代わって、政権を掌握したのが、宰相のマザラン枢機卿だ。リシュリューと同じで、マザランも貴族たちの反乱をことごとく抑え込んだ。

 やがて、自分で権力をふるえる年齢になったルイ14世は、半世紀以上にわたって、絶対君主として君臨した。幼少時代から合わせると、72年も王国を統治したのだ。

 彼は貴族や役人などから権力を奪い、ヴェルサイユに豪華けんらんな宮殿を築いたりもした。どんな決定にも、彼の承認が必要だった。つまり、ルイ14世は、外交政策、キリスト教会、税について、全権を握っていた、というわけだ。

 ルイ14世は、すべての人民にとっての光のみなもと、という意味で、「太陽王」を名乗った。彼の支配は、王の神権に基づいていた。だから、王に対する反乱は、神に対する反乱に等しいとみなされた。

 ルイ14世は、1667年から1713年にかけて、4度の戦争をおこなった。そのせいもあって、彼の宮廷、宮殿、戦争の費用は、フランスの予算に対してあまりにも大きくなりすぎてしまう。

 そのため、1715年に彼が亡くなったとき、フランスは巨額の負債と多くの敵を抱えていた。

 ルイ14世は、ユグノーの教会を破壊し、学校を閉鎖して、ユグノーたちをカトリックに改宗させようとした。20万人近いユグノーが、王の迫害を逃れるため、イングランドやドイツ諸国などに逃げ込んだという。