スタグフレーションが始まった。物価が上昇しているのに、経済が停滞し、国民所得も増えないスタグフレーションのもとでは、国民の生活は苦しくなる一方だ。それを放置すれば、衰退の一途を辿る日本経済にとどめを刺すことにもなりかねない。では、我々はどうすればよいのか? その答えは、経済アナリスト・森永康平氏の最新刊『スタグフレーションの時代』にその処方箋が書かれている。(評論家/中野剛志)

日本経済を壊滅させる「スタグフレーション」に警戒せよPhoto: Adobe Stock

国民を苦しめる恐るべき「スタグフレーション」

 スタグフレーションが始まっているーー。

 最近、そういう論調を見かけることが増えている。

「スタグフレーション」とは、物価が継続的に上昇する「インフレーション」(インフレ)と、経済の停滞を意味する「スタグネーション」を組み合わせた造語である。

 一般的に、好景気で消費や投資が旺盛で、需要が供給を上回るような場合には、物価が継続的に上昇してインフレになる。いわゆる「デマンドプル・インフレ」である。

 この種のインフレは、経済成長に随伴する現象である。物価は上昇しているが、同時に、経済は成長し、国民の所得も増えているので、国民生活は必ずしも苦しくならない。物価上昇率が数%程度のマイルドなものであるならば、デマンドプル・インフレは、むしろ、望ましいものと言えるだろう。

 ところが、インフレであるにもかかわらず、経済が停滞するというのが、「スタグフレーション」という現象である。物価が上昇しているのに、経済が停滞し、国民所得も増えないのであれば、国民の生活は苦しくなる。そのようなスタグフレーションの時代が到来したとすれば、それは実に恐ろしいことである。

 このスタグフレーションという現象は、実は、資本主義経済では、長く忘れられていた。前回のスタグフレーションは、1970年代である。スタグフレーションという造語も、この時に生れた。

 当時のスタグフレーションは、主に、二度の石油危機による原油価格の高騰が引き起こした。需要の増大というよりは、供給が大きく制約されることで起きる「コストプッシュ・インフレ」となり、それが打撃となって不況が併発し、スタグフレーションとなったものと考えられる。

 しかし、資本主義経済は、1980年代にインフレを克服した。特に1990年代以降は、低インフレが基調となった。

 極端なのは日本で、1998年以降、インフレとは逆に、物価が継続的に下落するデフレーション(デフレ)から抜けられなくなり、20年以上にも及ぶ停滞に陥っている。アメリカなどでも、2010年代初頭以降、低インフレと経済の停滞が続く「長期停滞」が問題となっていた。

 このように、先進各国は、インフレになることではなく、むしろインフレにならないことに悩んでいたのである。このような雰囲気の中で、スタグフレーションという言葉は、死語も同然となっていた。

 ところが、そのスタグフレーションが、口の端に上るようになっている。近刊である森永康平氏の『スタグフレーションの時代』もそうだ。同書は、そのタイトルからも分かるように、「スタグフレーションの時代」が到来したという認識に立っている。だとすると、スタグフレーションの時代は、実に、40年ぶりということになる。