「グローバリゼーションの終焉」と「スタグフレーションの始まり」

 このことは、資本主義経済の大きな構造変化を示唆している。

 我々は、資本主義経済に対する認識も、経済政策も、そして企業の経営戦略も、過去40年間と同じままではいられないということになろう。

 経済思想も、大きく変わるかもしれない。実際、1970年代のスタグフレーションは、政府が財政金融政策によって経済を調整するというケインズ主義を失墜させ、市場原理を信奉して自由放任を理想とする新自由主義を台頭させるという革命的な変化を引き起こしたとされている。今回のスタグフレーションもまた、経済思想のパラダイムを動かす可能性がある。

 もっとも、現下のスタグフレーションは、コロナ禍による労働力不足や物流の混乱、あるいはウクライナ戦争に起因するエネルギーや食料の価格高騰など、一時的なものであって、コロナ禍やウクライナ戦争が終われば、スタグフレーションも終わるという見方もあるかもしれない。このような見方からすると、「スタグフレーションの時代」が来たというのは、いささか早とちりということになろう。

 しかし、私は、そういう見解をとらない。

 スタグフレーションは、以下の理由により、長期的な現象となると認識した方がよいように思われる。

 第一に、新型コロナウイルスは変異を続けており、今後、ワクチンや治療薬が効かなくなるような変異が起きることも考えられる。その場合、コロナ禍は、数年に及ぶことになる。コロナ禍に起因する経済の変調は、さらに続くだろう。

 ウクライナ戦争についても、長期化する可能性がある。大規模な戦闘自体は終結したとしても、ロシアに対する経済制裁は続けられるかもしれない。また、戦後のウクライナやロシアの内政が不安定化する可能性もある。要するに、コロナ禍もウクライナ戦争も、一時的な影響にとどまらないかもしれないということだ。

 第二に、各国はコロナ禍を経験して医療・公衆衛生関連の支出を増大させ、ウクライナ戦争を契機として軍事費を拡大させている。政府が大きくなっているのである。こうした「大きな政府」は、インフレを固定化する。

 第三に、ウクライナ戦争という現象は、地政学的な構造変化の結果とみるべきである。その地政学的な構造変化とは、アメリカがリベラルな国際秩序を守護する覇権国家としての能力を失い、国際秩序が不安定化したという変化である。

 ということは、今後、地政学的な紛争や緊張が、世界の各地で頻発するとみた方がよい。中でも、中国の拡張が東アジアの秩序を不安定化させる可能性は、特に高い。こうしたことから、各国は、平時から経済安全保障を強化するようになっている。その結果、多くの企業が、グローバルな最適生産でコストを極小化することが困難になり、経済効率よりもレジリエンス(強靭性)を重視したサプライチェーンの再編を進めている(『変異する資本主義』中野剛志、ダイヤモンド社)。

 第四に、中国は、これまで安価な労働力を供給することで、世界的にインフレを抑止してきた。しかし、高度成長によって中所得国となった中国は、もはや低賃金労働者の供給源とは言えない。中国以外の開発途上国は、中国ほど大規模に安価な労働力を供給できない。

 第五に、先進諸国そして中国では、少子高齢化が進んでいるが、少子高齢化とは、生産年齢人口、すなわち供給の減少を意味するから、必然的に、インフレをもたらす(日本が少子高齢化にもかかわらず、デフレであったのは、デフレを起こすような愚劣な経済政策を20年以上にもわたって続けたからに過ぎない)。

 これら五つの変化を一言で言えば、グローバリゼーションが終わったということに尽きる。グローバリゼーションは、1990年代以降、低インフレの主たる要因の一つであった。そのグローバリゼーションが終わったから、スタグフレーションが起きつつあるのである。「グローバリゼーションの時代」から「スタグフレーションの時代」へと変わったと言ってもよい。

 だとするならば、まずは現下のスタグフレーションがどういうものなのかについて、よく理解することから始めなければならない。そのために、この『スタグフレーションの時代』ほど、格好の書はない。