すでに示された「スタグフレーションへの処方箋」

 森永氏による経済分析の卓越している点は、大局的なマクロの視点と、詳細なミクロの視点の両方を兼ね備えているところである。

 政治哲学者のアイザイア・バーリンは、大局的なマクロの考察を得意とする学者を「キツネ」に、詳細なミクロの探求に長けた学者を「ハリネズミ」と呼んだ。キツネは、行動範囲が広く、いろいろなことを広く浅く知っている。これに対して、ハリネズミは、狭い知識を深く掘り下げるのを好む。学者はキツネとハリネズミのいずれかに分類されるのだが、森永氏は、このキツネとハリネズミの両方の性格を兼ね備えているのである。

 森永氏は、前著『MMTが日本を救う』でも示されたような確かなマクロ経済学の知識を踏まえつつも、日々、様々な統計データを読み取る訓練を積み、さらには小売業の現場を歩いて調査をしたり、日常の会話の中から人々の生活実感をつかんだりといったことまで心がけている。

 こういうキツネとハリネズミのハイブリッド型のアナリストは、希少種である。しかし、キツネとハリネズミの両方の能力を最大限動員しなければ、スタグフレーションという複雑な現象を理解し、これに対処することは難しいであろう。

 日本は、デフレの回避という、マクロ経済運営の基本中の基本にすら失敗してきた国である。そのような国は、戦後、どこにもない。日本の経済学者や経済政策担当者の水準は、先進国中、最低と言ってよい。

 そんな日本が、デフレの脱却すらできないままに、スタグフレーションという複雑な困難に巻き込まれて、果たして耐えられるのか。耐えられなければ、このスタグフレーションは、日本経済にとどめを刺した現象として、歴史に記録されるであろう。

 森永氏は、スタグフレーションの診断のみならず、その具体的な処方箋も的確に示している。それは、これまでの日本の経済政策の常識を覆すものではある。しかし、我が国の為政者は、森永氏の処方に従うべきである。時代は変わったのだ。

中野剛志(なかの・たけし)
1971年神奈川県生まれ。評論家。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『国力論』(以文社)、『国力とは何か』(講談社現代新書)、『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)、『官僚の反逆』(幻冬社新書)、『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』『楽しく読むだけでアタマがキレッキレになる 奇跡の経済教室【大論争編】』(KKベストセラーズ)、『小林秀雄の政治学』(文春新書)、『変異する資本主義』(ダイヤモンド社)など。