森まゆみ森まゆみ(もり・まゆみ)/1954年、東京都生まれ。地域誌「谷中・根津・千駄木」の創刊・編集に関わる。98年、『鴎外の坂』で芸術選奨文部大臣新人賞、2014年、『「青鞜」の冒険』で紫式部文学賞を受賞。著書に『暗い時代の人々』など、ノンフィクション、評伝など多数(Photo:写真部・東川哲也 撮影協力 ミロンガ・ヌオーバ)

 たとえば新宿・歌舞伎町で名物のとんかつ茶漬けが評判の「すずや新宿本店」。前著では創業者の鈴木華子さん(故人)から版画家・棟方志功が自筆でメニューを書いてくれたことなど数々の秘話を聞き、今回の再訪では4代目の孫、杉山草子さんが、店の味とともに歌舞伎町の街づくりにも尽力する姿が生き生きと描かれる。

 あるいは新橋の中華料理「新橋亭」の昭和史。食通の谷崎潤一郎の知られざる一面から、戦後の政界再編にからむ宴席の様子まで、<壁は戦後史に聞き耳を立て、カーペットはたくさんのエピソードを吸っているようである>。

 一方で森さん自身の幼少期の甘い記憶も披露される。たとえば渋谷の「西村フルーツパーラー」で父が買ったシャーベットに付いた保冷用のドライアイスを丼の水に入れて遊んだりと、「昭和」の子どもが共有した体験が甦(よみがえ)る。

「子どもの頃に食べた味って忘れない。誰と行ったのか、その時の風景、店の雰囲気とか店の人のしぐさが味にプラスされているんです」

 そして同時代的な共感を覚えたのは昔ながらの喫茶。ここでは本郷の「こころ」「ルオー」「麦」、神田・神保町の「さぼうる」「ラドリオ」「ミロンガ・ヌオーバ」「ショパン」の7店が選ばれているが、いずれも昨今のカフェにはない風格に魅せられる。

「とても落ち着くんですよ。なんともいえない感じ。もう、それだけ!」

 シメは東十条の焼きトンの名店「埼玉屋」店主の言葉を。<金儲けるの趣味じゃないんだ。うれしそうに帰るお客さんを見るのが楽しみなの>

(ライター・田沢竜次)

昭和・東京・食べある記『昭和・東京・食べある記』(979円〈税込み〉/朝日新書) 昭和の東京に生まれ育った著者が、子ども時代から現在まで、記憶に残る東京の老舗を訪ね歩いた食紀行。上野、浅草、銀座・日本橋、神田・神保町など13のエリアから、天ぷら、とんかつ、そば、カレー、中華料理、フルーツパーラー、大衆酒場など39の名店を選び出し、店の歴史から代々続く店主の「昭和史」と数々のエピソードを聞き書きで描き出す。後継者たちへのエールも込められている

AERA 2022年4月4日号

AERA dot.より転載