「30人の幼児と自分の娘、どちらを助ける?」
ソクラテス、プラトン、ベンサム、キルケゴール、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。人類誕生から続く「正義」を巡る論争の決着とは?
いじめによる生徒の自殺をきっかけに、学校中に監視カメラを設置することになった私立高校を舞台にした小説、『正義の教室 善く生きるための哲学入門』が刊行された。「平等」「自由」、そして「宗教」という、異なる正義を持つ3人の女子高生のかけ合いから、「正義」の正体があぶり出される。作家、佐藤優氏も「抜群に面白い。サンデル教授の正義論よりもずっとためになる」とコメントを寄せている。「現代の正義」について、著者の飲茶氏に伺った(構成/前田浩弥)
「悪い奴はみんなでチクチク攻撃」、現代の正義とは?
電車に乗っているとき、同じ車両にめちゃくちゃ暴力的な人がいたとしましょう。決して空いてはいない車内で、座席に寝転がり、たばこを吸い、注意した人を殴りつけています。
ここで、どのような行動をとるのが「正義」でしょうか。
「暴力おじさん」にどう立ち向かう?
20世紀の「白哲学」(絶対主義)の正義は、「どう考えても悪いのは、座席に寝転がり、たばこを吸い、注意した人を殴りつけている暴力的な人。だから『お前は間違っているんだ』と直接立ち向かい、行動を正すべき」です。しかしこれは「戦争」です。暴力的な人が凶器を持ち出し、さらに反撃したら、車内全体を巻き込んだ世界大戦になってしまいます。
そこで、21世紀初頭、「黒哲学」(相対主義)によって正義はこう変わりました。それは「誰が迷惑行動を起こそうと、あなたには何も関係ないんだから、ひとまずそこから逃げなさい。争いはさらなる争いを生む。だから自分が注意せず、立ち向かわなかったことに自己嫌悪を持つ必要はないよ」です。
しかし、これだと、自分が害を被る危険はなくなりますが、現実としては何の解決にもなりません。暴力的な人はこの後も変わらず、暴力的な行動をとり続けるでしょう。(強者による暴力、搾取の継続)
※拙著『正義の教室』でも記したように、哲学史は「絶対主義」と「相対主義」の対立の歴史でもあります。私は、絶対主義を「白哲学」、相対主義を「黒哲学」と定義しています。白哲学の代表はソクラテス、黒哲学の代表はニーチェです。白哲学(絶対主義)と黒哲学(相対主義)の詳細については、前回記事『「戦争の時代がやってくる」哲学と歴史が示す残酷な真実』を参照
「みんなでチクチク攻撃」が正義になった!
では、20世紀の「白哲学」の反省(戦争の時代の反省)と、21世紀初頭の「黒哲学」の反省(格差拡大や搾取の反省)を踏まえた、最新の「白哲学」の正義は何か。
「その場からは逃げつつも、逃げながら写真や動画を撮り、『こんなことをやっている奴がいた』とネットで匿名で拡散して、匿名の勢力が『悪人』を特定して、いろいろな嫌がらせをして『悪人』を追い詰める」です。
「いいか悪いか」はさておき、これは思想史的には、20世紀の「白哲学」の反省も、その後主流となった「黒哲学」の反省も踏まえた、極めて自然な流れです。つまり、
・強大な力を持ち、理不尽な暴力をふるう人
・格差を許容、助長する人
・強者の立場から弱者を利用、搾取する人
こうした人に対しては、みんなでチクチクと攻撃して、社会的制裁を与えて排除する事で正義を達成する。
これが現代の「正義」となりつつあるということです。
この「新しい正義」の流れは、従来の「黒哲学」の「人それぞれでしょ」「自由が大事だよね」「分散型が大事だよね」という思想に馴染んできた人たち(私もそのひとりです)にとってみれば、ちょっと気持ち悪い。
でも現実として、「黒哲学」では解決できない問題を、最新の「白哲学」の正義である「みんなでチクチク」は解決してくれるんです。匿名の暴力におそれをなして、理不尽な暴力をふるう人が減るわけですからね。
キャンセル・カルチャーは「正義」なのか?
現在、世界的にキャンセル・カルチャーが流行しています。有名人が何か悪い発言をしたり、倫理観に反する行動をとったら、みんなで徹底的に叩き、地位を奪う。これがキャンセル・カルチャーです。
キャンセル・カルチャーは一種の「暴力」でもあります。正義を守らない人に強制的にペナルティーを与えているのですから。ただ、世界はキャンセル・カルチャーによって、少しずつ変わってきているのも事実です。
10年以上前と比較したら、不倫する芸能人、セクハラする権力者、性差別的な発言をする人たちは格段に減りました。
実際、公共の場で、誰かが性差別的な発言をしている現場をみたら、「うわ、このご時世に、この人大丈夫?」とゾワッとする人が多いと思います。それは、キャンセル・カルチャー(公開処刑=みんなでチクチク)によって、私たちの身体が調教された結果だと言えるでしょう。
しかしです。こうした新しい正義、「悪い人を匿名のみんなでチクチク攻撃して社会から排除する正義」は、はたして本当に正義なのかと違和感を覚える人もいると思います。(著者としては)その違和感を覚える気持ちの中にこそ正義があり、だからこそ、現状に満足せず、常に目の前の正義を疑い続けながら、さらなる正義を考えるべきだと思っています。
何が「正義」か。変わりゆく時代の中で、私たちひとりひとりも絶えず自問自答し続けることが必要だと私は考えています。