ひと月ほど経った頃のこと、娘さんが泣きながら電話をかけてきました。

父親の介護が大変で、家族全員が疲労困憊しているというのです。

「いつまでこの状態が続くのでしょうか。旅行に行けたのはよかったけれど、毎日つらいです」

そうおっしゃる言葉を聞きながら、私は深く反省しました。

本当は、誰もが自分自身の人生の、その与えられた寿命の中で、最も学んでいける生き方をしていかなければならないのです。

それが短い命であれば、周りから見たら不幸なことに思えるかもしれません。

でも、その人自身にとっては素晴らしい学びができていたのかもしれないのです。

そして、それを判断するのはその人自身であって、周囲の人間ではないのです。

このケースでいえば、万が一、父親が旅行先で亡くなったとしても、そのことによって、その方自身やご家族が学ぶべき大切なことがあったのかもしれません。

ですから、僧が死に対して善悪を判断し、固執してはいけなかったのです。

この電話を受けた翌日、その方は静かに旅立っていかれたそうです。

私たちに生きて学ぶべきことがあり、果たすべき役目があれば、必ずご神仏が守ってくれます。どんな時もただそのことを信頼して、与えられた寿命を精いっぱい生きる。これが、私たちが目指す生き方だと思います。

父親の亡くなる前日に娘さんがくれた一本の電話のおかげさまで、私は大きな学びを得られたのでした。