浄土信仰と禅が日本人の心性を規定している

 ところが同時期に、禅も登場します。

「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで成仏できるなんて、人生をそれほど単純に考えるのか。知識階級からの、そういう疑念に対処するのが禅の役割でした。

 眼の前にある石を指して、「これは何だ」と問う。

 石に決まっているのですが、このように正面から問われるとインテリは必死に考えたりする。

 石とわが人生とは?などと考え始め、そこに深い真理があると、勝手に思い込んでしまう。

 知識階級は、このように精神をコントロールされる手法に弱いのですね。

 仏教は、民衆向けの浄土教とインテリ向けの禅という両輪で中国社会に深く根をおろしていきました。

 それがわが国にも導入されたことは皆さんがご存じのとおりです。

 鈴木大拙は名著『日本的霊性』(岩波文庫)の中で、「浄土信仰と禅が日本人の心性を規定している」と説きました。

「百家争鳴」という言葉が現代まで残っているように、諸子百家の時代は中国の思想や哲学にとって、大きな意味を持つ時代だったと思います。

『哲学と宗教全史』では、哲学者、宗教家が熱く生きた3000年を、出没年付きカラー人物相関図・系図で紹介しました。

 僕は系図が大好きなので、「対立」「友人」などの人間関係マップも盛り込んでみたのでぜひご覧いただけたらと思います。

(本原稿は、13万部突破のロングセラー、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)