生前のフレデリック・ショパンのもとには、「ピアノを教えてほしい」という依頼が後を絶たず、毎日多くのレッスンをこなしていた。一方、ショパンのライバルとして知られる音楽家のフランツ・リストも多くの弟子を育てたが、両者の「レッスン料」には大きな違いがあった。堀江宏樹氏の著書『偉人の年収』(イースト・プレス)から、一部抜粋・再編集して解説する。
コンサートの規模では負けたショパンだが
ピアノレッスンでは引っ張りだこに
現代でも「ピアノの詩人」と呼ばれるフレデリック・ショパン。その人気は高く、クラシック音楽に馴染みがない人からも、センチメンタルなメロディが愛されています。
生前のショパンの人気はそれ以上で、ポーランドからパリにやってきてからの彼はかなり裕福な生活を送ることができました。
ショパンは若い頃から身体が弱く、体力にも欠けていました。そのため、同世代でライバルだったフランツ・リストに比べると、ピアノから大きく輝かしい音を引き出せません。
リストのようにヨーロッパ中を歴訪し、大きなホールを満員にして行うコンサートツアーも、ショパンには夢のまた夢。しかし、サロンに置かれたピアノの鍵盤に繊細なタッチで触れ、小さくても夢見るような音色を引き出す彼の姿に、社交界の女性たちは惹きつけられてしまいます。