遺産総額から推定すれば、大音楽家・ベートーヴェンの年収は数千万円以上あったと考えられる。1曲当たりの作曲費用(=作曲報酬)が高かったことが、高給を得た要因だ。また、彼は演奏会の報酬を元手に株式投資を始め、利息・配当金だけで当時の役人の年収に相当する額を手にしていた。そんなベートーヴェンの金銭事情を、堀江宏樹氏の著書『偉人の年収』(イースト・プレス)から、一部抜粋・再編集して解説する。
19世紀のウィーンで
上位5%の遺産総額
クラシックの大作曲家たちの中でもとくに人気が高く、「楽聖」とも讃えられるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。そのギャラ相場は、当時としてはかなり高額でした。彼が金にうるさい人物だったこともあるでしょう。
ベートーヴェンの遺産総額は1万グルデンにも上りました。インフレが激しかった19世紀はじめの1グルデン=現代日本の1万円(西原稔『ベートーヴェンの生きた社会と音楽』によるレート)と仮定した場合、1億円ほどに相当するでしょうか。
これは、彼が亡くなった1827年のウィーンの遺産額のトップ5%に入る数字でした。この遺産総額から推定すれば、ベートーヴェンの年収は数千万円以上あったと考えられるのです。
現代の売れっ子ミュージシャンなら十分にありえる数字でしょうが、ベートーヴェンの時代には著作権の概念がなく、印税収入もありません。また、当時の音楽家が稼ぐ方法といえば、音楽好きの君主の宮廷に仕え、宮廷音楽家たちの最高職である楽師長を目指すのが王道。その場合は、1000グルデン(=約1000万円)程度の年収も期待できました。
つらい“宮仕え”を一切していないベートーヴェンが、宮廷音楽家と同額かそれ以上の収入を“不屈の意志”で勝ち取っていたのは凄いことです。
裕福とはいえない家庭の出身者でありながら、最終的にはハプスブルク家を頂点に構成されるウィーンの収入ピラミッドのトップ5%に食い込んでしまったベートーヴェン。その“銭ゲバ”人生を見ていきましょう。
1770年生まれのベートーヴェンは、幼少時代から「モーツァルトの再来」と謳われ、情熱的なピアノ演奏で有名になりました。現代のクラシックのピアニストが演奏会で自作を演奏することは稀ですが、当時のピアニストは作曲家も兼ねているケースが多く、自作を意欲的に披露しました。
生まれ故郷であるドイツのボンから音楽の都・ウィーンに移住して約4年後の1796年頃、ベートーヴェンは天才作曲家としての名声を早くも確立したのです。