アラビア石油社長 山下太郎
 コロナ禍から世界経済が回復に向かい、原油の需要増が見込まれていたところに、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が勃発。ロシアからの原油供給が途絶する懸念が生じ、原油価格が高騰している。石油は日本の一次エネルギー供給の約4割を占めるが、その約99.7%を輸入に依存しているだけに、打撃は大きい。

 ところで、かつてサウジアラビアとクウェートに石油利権を持ち、実際に油田開発に成功した日本企業がある。アラビア石油である。石油メジャーに頼らない「日の丸油田」を実現し、1970年代には松下電器産業(現パナソニックホールディングス)、日立製作所、トヨタ自動車などを超える日本一の高収益会社として脚光を浴びていたのだが、その創業者の山下太郎(1889年4月24日~1967年6月9日)と共に、不思議なほどにあまり話題に上らない。

 山下は、1912年に札幌農学校を卒業すると、オブラートの製造販売、ブリキや缶詰などの輸入事業や、南満州鉄道の社宅建設で財を成し,戦前は「満州太郎」と呼ばれた。敗戦で無一文になるが、戦後は海外での石油開発事業に転じ、サウジ(57年)、クウェート(58年)から石油利権を得て、油田開発に乗り出す。この快挙に国内の有力企業が支援を表明し、中山素平(元日本興業銀行頭取)が銀行団融資を取りまとめて資金調達を援助したり、当時の経団連会長だった石坂泰三(第一生命社長、東芝社長などを歴任)がアラビア石油の会長に就任して、山下を全面的に支えた。

「アラビア太郎」の異名で、時の人となった山下は、67年に没する。その生涯は本連載の過去記事、『消えた超高収益企業・アラビア石油、「日の丸油田」を掘り当てた山下太郎の生涯(上)』『消えた超高収益企業・アラビア石油、「日の丸油田」を掘り当てた山下太郎の生涯(下)』でも詳しく述べているので、お読みいただきたい。

 今回紹介する記事は、1961年8月14日号の「ダイヤモンド」に掲載された山下のインタビュー。前年にペルシャ湾の沖合で第1号となる油田の開発に成功したアラビア石油は、同年10月に株式公開を控えており、大いに注目を浴びていた時期だ。山下に加え、前レバノン大使の河野達一も招き、開発の苦労談や将来構想について聞いている。

 山下は「アラビア石油の将来は、これはやはり、日本の政府の方針がどこにあるか、一般の人々がどのように育ててくれるか、これによって決まると思います」と答えているが、2000年にサウジとの油田の採掘権の契約延長に失敗、03年にはクウェートとの利権更新にも失敗し、採掘事業から完全撤退を余儀なくされる。残念ながら、契約更新に関して当時の日本政府から特にバックアップはなかった。

 同社の石油開発事業部門とその大半の人員は、12年に会社分割によってENEOSホールディングスに移っている。本体となるアラビア石油は、今も富士石油の子会社として存続はしているが、小資源国・日本を支える期待の企業として一世を風靡した当時の見る影もない。(敬称略)(週刊ダイヤモンド/ダイヤモンド・オンライン元編集長 深澤 献)

サウジアラビアもクウェートも
日本に対し好意に満ちている

――アラビア石油の成功は世界の注目を集め、奇跡だとまでいわれていますが(聞き手はダイヤモンド社社長の鈴木津馬治)。

山下太郎 まったくその通りです。私なども、これは日本の僥倖だと考えているんです。

1961年8月14日号1961年8月14日号より

 ペルシャ湾一帯の油田は世界一の規模であり、確認されたものだけでも260億トンの埋蔵量になっている。これは米国の5倍です。

 けれども、アラビアだからといって、どこを掘っても油が出るとは限らない。現に、6年ほど前から英国の会社がカタールで掘っているけれど、まだ、1本か1本半しか掘り当てていません。

 また米国のパン・アメリカン石油も私たちが掘っている中立地帯のイラン側の海岸で掘っています。われわれより先に着手したのだけれど、今までにようやく2本掘り当てたといわれるぐらいです。

――アラビア石油は何本成功されたわけですか……。

山下 17本掘りまして17本全部が成功したわけです。1本当たり日産1000トンですから、これだけで年に500万トン以上の油が出るわけです。

河野達一(前レバノン大使) 私は折に触れ、各方面の人々にこの辺のことを説明しているが、みんなピンとこないんですね。

山下 ちょっと例がないようですね。専門家に聞いてみても、こんなに当たったということは……。普通3本に1本とか、5本に1本当たれば上々とされているわけです。しかも、着手してから3年そこそこでこのような大油田をつかんだのだから、世界が奇跡というのも当然でしょう。

――それだけに、利権の獲得とか開発には大変なご苦心だったと思いますが。

山下 これも一口に言えば、日本の僥倖ということです。サウジアラビアにしても、クウェートにしても、王様をはじめ国全体の感情が、日本に対し好意に満ちているわけです。彼らは同じアジア民族であることを誇り、むしろ日本を盟主とまで考えているようです。

 それに、もう一つ幸いなことは、現地に前々から日本の高級労働者が15人ばかり働いていた。その人々が非常に勤勉であり、立派な考えを持ち、現地人から尊敬されていた。これもまた、利権契約の獲得に大きな役目を果たしてくれたと思い、感謝しています。

――ただ、世間には利権料が高いとか、契約が不利だとか……。

山下 それは大変な考え違いです。