SNSを中心に、創作における「パクリ」問題がたびたび取り沙汰されている。気軽に自分の思いを共有・発信しやすいというメリットがある一方、見たくもない他人の華やかな人生が無遠慮に流れ込んでくるSNSの仕組みに、苦しさを覚えている人も多いはずだ。日本だけに限らず海外でも、SNSで着飾った自分を表現することに明け暮れ、そのプレッシャーから病んでしまう人が増殖しているという。「承認欲求とどう向き合うか」といった諸問題は、現代病の一つとも言えるのかもしれない。
そんな、自分自身の承認欲求に振り回され、不安や劣等感から逃れられないという人にぜひ読んでもらいたいのが、エッセイ本『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)だ。著者の川代紗生さんは、本書で承認欲求との8年に及ぶ闘いを、12万字に渡って綴っている。「承認欲求」とは果たして何なのか? 現代社会に蠢く新たな病について考察した当エッセイの発売を記念し、今回は、未収録エッセイの一部を抜粋・編集して紹介する。

影響されていない誰かの文章に「似てるよね」と言われたときの悔しさと情けなさPhoto: Adobe Stock

クリエイターに「あの人の作品に似てる」と言ってはいけない理由

村上春樹が好きそうな人の文章だよね、と言われたほうがまだマシだった。

なんでそんな、一回も読んだことない人の文章に似てるなんて言われなきゃいけないの。その人に「似てる」って言うなんて、なんかその言い方って、それって。

腹が立った。久しぶりに腹が立った。自分のなかにこれほどの熱があるんだとびっくりした。もちろん顔には出さなかったけれど、私はそのとき抱いたあの怒りの熱を、一生忘れないだろうと思った。

仕事だったか、プライベートだったか、もはやどんな経緯でその人と知り合ったのか覚えていない。ただ、それほど親密な仲ではなかったことは記しておきたいと思う。きっと今はもう、私の文章を読むこともないだろう。私の存在すら忘れているかもしれない。そのくらいの関係の人だった。

たまたまちょっと話す機会があって、当たり障りのない世間話をしていた。最近あの人ってこうですよね、ああ、たしかにそうですね。そんな話だ。中身も覚えていない。でもその流れでふいに、彼は言った。

「なんか、川代さんの文章ってあの人に似てますよね」

すんと、体の奥のほうにある芯が縮こまって固まったような感覚があった。相手はとくに悪気はないようだった。ただの世間話のひとつなのだ。別に犬の話だって近所のラーメン屋の話だってなんだってよかったのだ。でも私はそうだとわかっていても、相手になんら意図するところはないと理解していても、じわじわと湧いてくる熱をおさえることができなかった。

そしてその人は、とあるライターの名前を口にした。知っている名前だった。Twitterのアカウントのプロフィールを見たことがある人だった。ネットでバズった記事が広まってきて、5000件以上のいいねと、1000件以上のリツイートを見て、その魅力的なタイトルを見て、それで、その記事のリンクをタップしようとして──。

しようとして、結局、読まないようにしたその人の、名前だった。

なんで。

なんでそんなこと言うんだろう、と思った。どうしても理由を追求したくなった。理由なんかないってわかってるのに、でもやっぱりどうしてだと思った。別に理不尽なことなんて何ひとつないのに、猛烈な理不尽さを、身勝手にも感じていた。

意図したものじゃなく、世間話でふっと思いついたその話題が、たまたまその人の記事だったということも、余計に腹が立った。

「あの人の文章に似てる」なんて。

それを言っちゃったら、まるでその人のほうが物書きとして優れていることの、明確な証明みたいじゃないか。