この世界から私を救い出す唯一の方法
でも。
でも、私だってこれまでに、同じようなことを何度もしてきたじゃないか。
「〇〇の絵に似てるね」
「すごく声が〇〇っぽい!」
「この写真の雰囲気、〇〇さんの作品みたい」
悪気なく、幾度となく、そんな言葉を口にした。それはあるいは、褒め言葉のつもりだったかもしれない。最近話題のなんとかさんに似てるって言われたら嬉しいんじゃないかなと思って、何気なく。
でも、自分が言われてみてはじめて気付く。
自分が真剣につくっているものにたいして「似てる」って言われるのって、こんなに悔しいことだったんだな。
まして、よく検証しようともせず安易に「パクリだ」と断言されたとしたら、どんなに悔しいだろう。最近はSNSを通してさらに騒がれやすくなっているけれど、もし全く影響されていない誰かの文章の「パクリだ」と言われたとしたら?
そんなことをぐるぐると考え出すと、悔しいというのか、悲しいというのか、もはやよくわからなかった。この感情をどう表現すればいい。どの言葉を選べば。どんな表現で。どんな文体で。どうやって。ああ。
もしもそのずっと遠くにいるあの人ならば、どんな言葉でこの気持ちを書き記すんだろう。
なんて、猛烈に嫉妬している最中ぼんやりと、どこか冷静に、そんなことを考えてしまう自分の情けなさにも、腹がたった。
けれど、それと同時に。
あるいは、こんなふうに泣きたくなるほど悔しい思いこそ、嫉妬してしまう自分のいやらしさこそ、自分を書くことに向かわせる原動力になっているのかもしれない、とも思った。
だとしたら。
だとしたら私は、この感情を味方につける術を身につけようじゃないか。
承認欲求もコンプレックスも猛烈な嫉妬も、それら全部をひっくるめて私の人生の肥やしにしてやろう。
どうせ天才には敵わないのだから、「生きづらさ」から解放されることなんか諦めて、人生のギリギリまで粘って粘って、意地汚く書き続けてやる。
きっとそれが唯一、どうしようもなく居場所が見つからないこの世界から、私を救い出す唯一の方法なのだ。
1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。
2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。
「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。
メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。
現在はフリーランスライターとしても活動中。
『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。