もともと「届かない」とわかっているものに対して、人は嫉妬しない

それがもう、悔しくて悔しくてしかたなかった。でも何も言わなかった。平静を装って、へえ、そうなんですね、たぶん、名前くらいは聞いたことあるかな? うん、それならちょっと今度読んでみようかなあ。なんて、当たり障りのない返答をした。

名前くらいは聞いたことある?

うそだ。

知っている。ずっと前から知っている。

その名前を目にしたくないという気持ちが強いあまりに、かえってずっと脳裏から離れてくれないそれを、「名前くらいは聞いたことあるかもしれない」?

笑わせる、と思った。なんだよこれ。バカみたいじゃん。

別にこの人何も悪気ないのに。そうだった。私をいじめようとしている人なんて誰もいなかった。「似てる」と言ったその彼も、一度も読んだことがないその文章の書き手も。でも「似てる」と言われたその一言で、すべての感情が沸騰したように湧き上がっていた。

村上春樹が好きそうな人の文章だよね、って言われたほうが、ずっとマシだと思った。

だって影響を受けている自覚があるからだ。べつに彼の文章に寄せているつもりはないけれど、昔から愛着を持って読み続けていれば、なんとなくリズムや言葉遣いが似てくる程度のことはあるかもしれない。それくらいなら納得できる。

でもそれは、相手が村上春樹だからだ。到底及ばないようなはるか彼方、見えない先にいる相手だからだ。もともと「届かない」とわかっているものに対して、人は嫉妬したりしない。

ああ、そうか。

嫉妬。

嫉妬、しているのか、自分は。

そうだった。嫉妬していた。猛烈に嫉妬していた。

会ったこともない人に、読んだこともない人の文章に、嫉妬していた。

本当はその場に私がいたかもしれないのにと思うと、心底腹が立った。

一歩間違えたら。ボタンがかけ違っていれば。私があなたのステータスを手に入れていれば。

わかっている。そんなことを言ってもただの負け惜しみで、相手には十分な実力がたしかにあって、私にはその場に到達できるだけの実力がなかった。それだけのことだ。なのに、なのに、なのに──。

私が、私こそが、「川代さんの文章に似てるよね」って、言われるほうになりたかったよ。

言われる立場にいたかった。「〇〇さんに似てますね」なんて絶対に言われたくなかった。