第3位 人に会えなくてさみしい

私は独身で一人暮らし、どこかに所属しているということもないので、普段から人と会う機会が滅多にない。
それでも打ち合わせや撮影などで人に会う。
家では話す相手がいないためか、その反動で人と会うとバンバンに話してしまう傾向がある。

ただコロナ禍で仕事が減り、いよいよと人と会うことが奇跡的なことになった。
一番のコロナ禍の時期は私以外にこの世界に人は本当にいるのだろうか、と思っていた。

おそらく多くの人も同じ状況だから、と大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした。
そんなときにこの本に書いてあった言葉に救われた。

「繊細な人はひとりの時間が必要だ。
その中で呼吸をして自由を感じる。
そして、休息を取り、心を整えて再び正しい方向に進んでいく」

私は繊細なのだ。人に会わなければならない、という考えをやめればいいのだ、と思った。
自由を感じればいいのだ。
そこで私は自宅でいったん、服を着るのをやめてみた。
自由を感じられるからだ。人と会うこともまれなので裸でいいのだ、と。
会わない今こそ裸でいいのだ、と。

「さみしいからと言って、無理にあれころ新しいことを始めて孤独を忘れようとしてはいけない。
ほんの少しの間は気が紛れるかもしれないけれど、再びさみしさに襲われて、身体と心が疲れてしまうだけだ」

この本にある。その通りなのだ。
新しいことを始めるのではなく、今までやっていたことをやめるのだ。
その結果、自宅で服を着るのをやめた。
自由になることができたと思う。窓から見える空がいつもより青く感じた。

「なんで裸?」と思うかもしれない。
理解されないかもしれない。この本にこんな言葉がある。

「周りからは理解しがたいほど強い執念を持って着実に成し遂げたい目標へと向かい心をコントロールしながら、毎日少しずつ成長していく」

そういうことなのだ。
家の中だから、一人暮らしだから、裸でいいのだ。
強い執念を持って私は裸で暮らしたのだ。
コロナ禍の数少ないいい思い出だ。

人気ライターの「コロナ禍で大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをしたこと」ベスト3今はもう服を着ています! Photo by Keisuke Jinushi