青森高校の前身を
卒業した太宰治

 本州最北端にある青森県。県立青森高校は、八甲田連峰を背に陸奥湾に臨む青森市の東南に位置する。青森という独特の風土に育まれた、個性が際立った卒業生を多数、送り出している。

「桜桃忌(おうとうき)」が、今年も6月19日にやってくる。

【青森高校】華麗なる卒業生人脈!作家・太宰治、歌人・寺山修司、カメラマン・沢田教一…小説家の太宰治 出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

 小説家の太宰治は、1909年6月19日に、青森県で有数の大地主の家に生まれた。48年6月に愛人と、東京都三鷹市の玉川上水で入水(39歳)した。死体が発見された日と誕生日とが奇しくも同日の6月19日だった。直前に書いた短編『桜桃』にちなんで、この日は「桜桃忌」と命名された。

 太宰の墓がある東京・三鷹市の禅林寺には19日、全国から多くの太宰ファンが法要に訪れる。「桜桃忌」は、俳句の夏の季語にもなっている。

 太宰は23年、青森高校の前身の旧制青森中に入学し、27年に卒業した。当時は5年制だったが、1年早く卒業した(「四修」といわれる)。在学中、校友会誌に習作『最後の太閤』を掲載、また友人と同人誌「星座」を出している。

 青森中時代の成績表が新たに見つかり、21年2月に青森高校が発表した。それによると太宰は、在校中の4年間を通して好成績を収め、3年次末には学年131人中3位だったことが判明した。文系科目はもちろんのこと、理系科目も運動も優秀な成績だった。

 太宰はその後、旧制弘前高校―東京帝大文学部仏蘭西文学科と進んだ。戦前から戦後にかけ次々と作品を発表、『走れメロス』『斜陽』『人間失格』『津軽』などで人気を博した。自己破滅的な私小説作家だった。

「青森なら太宰、太宰なら青森」といわれ、今なお太宰人気は衰えていない。