後継者の“自覚”がない兄と、野心と慢心を隠さない弟

 では、“モンスター”はどのように成長していったのか、宏之と昭夫という、なにかにつけ対照的な兄弟の対比で振り返ってみよう。

 宏之と昭夫の2人は、共に初等部(小学校)から青山学院に学び、宏之は青山学院大学理工学部から同大学院に進み、経営工学(コンピュータ)を学んだ。卒業後は三菱商事に入社して食品流通に従事する。一方、昭夫は、青山学院大学経済学部を卒業すると米コロンビア大学大学院に進んでMBAを取得。卒業後は野村證券に就職してすぐにロンドン支店に配属になり、駐在生活を送っていた。

 宏之が武雄からロッテ入社を命じられたのは、三菱商事入社から9年後の1987年だ。そもそも宏之の三菱商事入社は、金融業界志望で銀行への会社訪問を続けていた宏之が、武雄から「商社がいいんじゃないか」と勧められて商社回りも行った結果である。すぐに丸紅から内定が出たが、宏之は社風に惹かれた三菱商事の内定も得て、商社マンとしての社会人生活を始めた。つまり、宏之にははなからロッテを継ぐという意識がなかったのだ。厳しい言い方だが、就職活動している本人にとっては自身の問題だから、周囲の思惑に思いが至らない。しかし、銀行や商社にとってロッテは重要な取引先だ。その御曹司を採用できるかどうか(自社で預かれるかどうか)は、ロッテグループと太いパイプを作れるかどうかに関わってくるから企業も必死だっただろう。当時、ロッテは三菱商事から年間40億円ぐらいの資材を買っていたから、三菱商事にすれば大金星を上げたことになる。

 ところが、宏之は9年後に、武雄に無断で先輩や友人たちが経営するコンピュータ会社に転職してしまった。転職を知った武雄は激怒したという。武雄にしてみれば、三菱商事に入れたのはロッテの後継者としてビッグビジネスを学ばせるためであり、転職などとんでもない話だった。後に、武雄の命を受けて、宏之と昭夫の「教育係」として関わり、兄・弟の双方をよく知る管理担当の元常務・松尾守人は、「実は、三菱商事に入社するときだってロッテから『創業者の息子なので、一つ、よろしくお願いいたします』と声を掛けています。武雄会長にしてみれば、『俺に無断で、なんで会社を辞めたんだ』『なんのために三菱商事に入れたと思っているんだ』と、そんな思いだったのでしょう。まぁ、当時としては、父としても経営者としても至極当然の怒りだと思います」と語る。

 それでも、父親が創業した会社への入社も、宏之にとっては「なんとなく父の仕事を手伝ったり応援したりする」ことであり、自身がロッテグループの後継者になるべく迎えられたという自覚などはまったくなかったという。宏之はロッテ商事に籍を置き、課長職で大阪支店に配属される。大阪支店は、「御曹司が来る」と大騒ぎになり、統括支店長は「重い荷物を背負わされた」と頭を抱えたが、いざ本人が赴任すると、「とにかく真面目で、人の話をよく聞くし、おもしろくないことに腐ったりもしない」。問屋筋にも可愛がられ、飲み会の誘いにも一人で出かけていた。

 かたや、昭夫が野村證券からロッテに移ったのは、宏之のロッテ入社翌年の88年。当時、明治製菓や森永製菓などの大手老舗菓子メーカーの主幹事証券会社は大和証券や日興證券などが占めており、ロッテが上場すれば、念願の製菓メーカー最大手の主幹事証券の座を獲得できるとあって、野村證券は下にも置かぬ扱いで昭夫を厚遇したことだろう。誰もが希望した金融ビッグバンさなかのロンドンでの駐在員生活を7年も続けていた。ただし、昭夫は早くから、ロッテ入社を武雄に何度も懇願していた。だが、「長男の宏之が入社してからだ」と、長幼の序を重んじる武雄が入社を認めることはなかった。

 昭夫の初任はロッテ商事中部統括支店の営業課長だった。兄弟揃ってロッテ商事での営業からのスタートで、兄が大阪、弟が名古屋。共に商売ではクセが強いとされるエリアだ。ロッテの御曹司といえども、特別扱いはさせず、見習いの一社員として“丁稚奉公”から始めさせるのが武雄の方針だった。だが、昭夫はまっ赤なポルシェで通勤し、取引先にも乗り付けて周囲をざわつかせた。また、MBAホルダーたるロンドンのエリート証券マンの勤務態度も改めなかったようだ。見せかけは立派だが、中身のないあさはかな手段のことを世間では「こけおどし」と嘲笑するが、MBAの教科書にそんな単語が載っているはずもない。当時の事情を知るロッテ元幹部は次のように語る。

「食品業界は実直に信用を築いていく世界ですから、極力、派手なことは避け、人の和というものを大切にする。昭夫さんの仕事のスタイルに周囲の人たちは、驚くと同時にずいぶん戸惑ったようです。 まず通勤のポルシェ。まだ日本ではポルシェが珍しい時代でした。昭夫さんはピッカピカのMBA保持者で、金融業界出身なので食品業界の人間とは考え方が違う。関係者たちは違和感を覚え、どう対応してよいのか悩んでいたようです」

 自身が背負わされた後継者としての責務を“自覚”することなく飄々とロッテの新入社員生活を送り始めた兄と、ロッテの御曹司としての野心と慢心を隠そうともしない弟。スタートラインでこれだけ対照的だった2人の行く末を武雄が案じたのも当然のことだ。