教えその1:社長を「数百人単位」で育成する

 昭和の時代といえば、大企業の社長は偉そうに社長室でふんぞり返って部下の重役たちに指示を出し、部下は言われるがままに右往左往する。そうして、大組織はなんとか回っていくような時代でした。

 この時代に、松下電産(現パナソニック)社長の松下幸之助は社内で、現代で言う株主のように振る舞っていました。大企業を非常に多くの事業部に分け、事業部長に「社長の責任」を負わせ、自らは事業部の株主の立場で指導するのです。しかも、その責任の負わせ方は本当に「経営責任」を負わせるのです。

 わかりやすく解説しますと、当時ひとつひとつの事業部はトースターとか炊飯器とか、それくらい細かい商品単位で分かれていて、それぞれの事業部が独立採算になっていました。そこに松下幸之助が回ってきて、いろいろと経営指導するのです。その際、業績が悪ければ容赦なく叱責するのです。

 この「叱責」が、事業部長にとっては恐ろしくて仕方ないのです。どんなことをするかというと、たとえば営業赤字が続いている事業部があったとします。理由にもよるのですが、松下幸之助はそういう事業部を見て真っ赤になって怒り、最後は「会社から貸した金を引き揚げる」と宣言するのです。

「君の経営にはお金は貸せないので、自分で頭を下げて銀行から2億円借りてきなさい。それができなければ事業部は倒産だよ」というわけです。

「社長が株主で無数の事業部が会社」というのは、当時の日本では画期的な経営手法でした。当時も松下電産をまねて、似たような組織体制を取る大企業も少なくありませんでした。しかし、私は、実際に事業部長に社長としての責任を負わせ、金策に走らせるところまでやった経営者を松下幸之助以外には知りません。

 彼は「社長がひとり社長室でふんぞり返っている会社よりも、何百人もの社長が社内に育っている会社の方がはるかに強い」ということをわかっていたのです。だから松下幸之助は、このような社員が育つ仕組みを思いついた。

 この考え方はむしろ21世紀になった今、社内起業制度などを始めた大企業が松下幸之助から学んで実践しているともいえます。現代がようやく松下幸之助に追いついてきたという経営手法だったと思います。