教えその3:間違っていたら頭を下げて謝る

 パナソニックの社史に刻まれる一大事件として有名な、「熱海会談」があったのは1964年のこと。その3年前に会長に退いた松下幸之助が号令をかけ、全国の営業所長、そして販売会社や取引先の社長さんに「ひとり残らずお集まりいただきたい」と伝え、熱海のニューフジヤホテルで、終わりが設定されていないエンドレスの営業会議を開いたのです。

 終わりが設定されていないというのは本当の話で、結局この会議は3日間続くことになるのですが、まずはその会議が招集されたきっかけから話をしましょう。

 1960年代は日本にとっては高度成長期にあたり、1962年から1964年10月までの間、のちにオリンピック景気と呼ばれる好況が続いていました。オリンピックに合わせて東海道新幹線や首都高などの建設需要が生まれ、日本人も戦後の貧しさから卒業します。家電についても「三種の神器」と呼ばれるテレビ、冷蔵庫、洗濯機が売れに売れた時代でした。

 ところが、その反動で1964年末から1965年にかけて証券不況と後に呼ばれる大不況が日本経済を襲います。複数の大企業が倒産し、最後は日銀による金融機関などへの特別融資で事態が収束するという歴史的不況がやってきます。

 松下幸之助が熱海会談を招集したのは、まだオリンピック景気が続いていたはずの1964年7月9日。各事業部から上がる数字を見ていて誰よりも早く、好景気が破滅的な不況へと転換するきっかけに気づいたのです。

 その熱海会議は紛糾します。不況時のはじまりに、ある事件が起こったのです。