「少年院帰り」「障がいやから」と言われ…
「だから学校いややねん」
<「少年院帰り」「障がいやから」と言われ、だから学校いややねん>
これは、自殺したAさんの母親が、亡くなる8カ月前の7月に子どもから聞いた言葉を書きとった手記だ(原文ママ、以下同)。
Aさんは小学校のとき不登校だったことから、そのまま進学する同級生の多かった中学で、こんな言葉をかけられていたという。
手記は、こう続く。
<令和3年9月夏休みあけすぐ担任にそのことをいうと、家に来てA(原文実名)と話す。その際も誰がいったと特定できないと指導できないという>
「誰が言ったか分かるまで、学校側は指導しない」という人ごとのような対応に、Aさんはどんな思いを抱いたのだろうか。中学入学後も不登校状態にあったAさんは、21年の9月中旬から2週間ほど学校に行けるようになるものの、ある日を境に再び行けなくなった。
その主な要因は、からかってくる同級生ではなく教師だったという。
<その日に何があったのか本人にきくと、生徒が理由でなく、教師とはなす。担任かそれ以外の先生か聞くと、それ言うと分かってしまうから言えんという。担任に言われたか、行動か(※編集部注:「担任の発言、または態度に傷ついたのか?」という意味)と聞くが、最後までしゃべらず。ただそれから担任のことは拒絶する>
母親によると、Aさんが再び学校に行けなくなったとき、中学の担任が「話をしたい」と自宅を訪問した。Aさんは拒絶したものの、母親が説得して、担任と話し合うことになったという。
<担任がどうしたら学校にこれる?と聞いたので、本人は小学校のときのことをすべて生徒に話して欲しい、そうしたら年少帰りとか障がいとか言われへんし、自分のつらさもわかってもらえるというが、担任は先生1人で答えられんから管理者たちと相談し返答すると言って帰る。結局、管理者たちがあかんと言ってるからと言いに来るが、そこから担任に対しての完全な拒絶になる>
中学入学後、同じ小学校から一緒に上がった同級生にいじめを受け始めたAさんは、小学校時代に不登校になった要因について、中学の担任から同級生に説明してもらうことを望んだようだ。事情を広く理解してもらえれば、いじめは減ると考えていたとみられる。
では、小学校の時にいったい何があったのか。