靖国問題が始まったのも、
第1次中曽根内閣のとき

 日中租税条約が締結された1983年と言えば、第1次中曽根内閣の時だ。中曽根元首相は、日中関係の土台を固めた政治家として中国で認識されている。彼は中国政府の反発を受け、靖国神社への参拝を取りやめた人物でもある。政治家の靖国参拝が外交問題化するきっかけを作った張本人で、彼がこの時、中国からの反発を受け入れていなかったら、40年もの間日本はこの問題に頭を悩まされることはなかっただろう。

 ついでに言うと、韓国との関係も中曽根内閣時代に改善された。彼は1983年に韓国を訪れて第一次歴史教科書検定問題(※)に決着をつけるとともに、「日韓新時代」を宣言した人物だ。また、韓国に対して40億ドルの円借款の供与まで行った。

※高校の歴史教科書において文部省(当時)が、中国華北地域への「侵略」を「進出」と書き換えさせたとする産経新聞グループの誤報があり、これをきっかけに韓国で大規模な反日デモが繰り広げられた。

 時代が異なるので一概には言えないが、同じ自民党議員であっても中曽根元首相と小野田議員とでは政策方針が全く異なる。一方は中・韓に擦り寄った外交をし、一方はこれらの国家に対して特別措置をやめるべきだと国会で奮闘している。