「元信者」、研究者として考える
旧統一教会と政治の「闇」
安倍晋三元首相を銃撃した山上徹也容疑者が、宗教法人の旧統一教会(現在の世界平和統一家庭連合)と安倍氏の関係が深いと思い込んで殺害に至ったと報道されたことから、宗教と政治の関係を問い直すべきという声が各方面で上がっている。
旧統一教会に限らず、宗教は人を惑わすいかがわしい存在だと思っている人たちの中には、自民党や公明党が宗教団体から支援を受けていること自体が、「政教分離」の原則を侵すものだという声もある。だが果たしてそうなのか。
また山上容疑者の母親が多額の献金をして破産してしまったことから、それを許している宗教法人法がおかしいと言う人もいるが、教団内の問題に干渉するのは、信教の自由の視点から問題はないのか。
私自身は、旧統一教会で大学入学後11年半活動して脱会した「元信者」であり、その間の経緯は拙著『統一教会と私』(論創社)でも書いた。
ここでは私個人の話は最小限にとどめ、政治思想史研究者の立場で、今回の事件を見ながら「政教分離」と「信仰の自由」とはそもそも何なのか、を改めて考えてみたい。