「自己肯定感」という言葉が取り沙汰されるようになって久しい。しかし、「他人の目なんか気にせず、ありのままの自分を受け入れよう」「承認欲求を今すぐに捨てよう」──そんなポジティブな言葉を目にするたび、息苦しくなってしまう人も多いのではないだろうか。自分を好きになれない、どこにいても疎外感があり、誰にも本音を打ち明けられない……そんな不安やを解消するために必要なのは、「今すぐに使えるハウツーやライフハック」ではなく、気が済むまで自分と向き合う時間だ。そう語るのは、エッセイ『私の居場所が見つからない。』の著者・川代紗生氏だ。「承認欲求を無くしたいのに、『認められたい』という気持ちをどうしても捨てられない」と葛藤し続け、「承認欲求」から解放される方法を見つけるまでを、8年に渡って綴ってきた彼女のブログは、同じ生きづらさを抱える読者から大きな反響を読び、10万PV超えのバズを連発。その葛藤の記録をまとめた本書は、「一番言ってほしかったことがたくさん書かれていた」「赤裸々な感情に揺さぶられ、思わず泣いてしまった」など、共感の声が寄せられている。そんな「承認欲求をエネルギーに変えるためのヒント」が詰まった1冊。今回は、疲れた心に寄り添う本書の発売を記念し、未収録エッセイの一部を抜粋・編集して紹介する。
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世の中には「わかる人」と「わからない人」が存在する
その昔、私は「悟りを開く系」女子だった。
何を隠そう、よく悟りを開いていたのである。何かと悟りを開いていたのである。ことあるごとに悟りを開いていたのである。何かを悟り、学びを得ていた。新しい発見があり、気づきがあった。高校生くらいの頃だったと思う。
その頃の私は多くのことに気がついていて、「ああ、これはこういうことなんだ」とか、「世界はこういう仕組みで動いているんだな」とか、「あの人があんなことをしたのは、こういう心理があるからなんだな」とか、そんなことばかり考えていた。人間観察をするのも好きだった。でももっとも好きだったのは、同じように人間観察が好きで、自分と同じような目線で世の中を、物事を見ている人と話し、そして「ああ、わかるわかる」と共感し合うことだった。
そうやって語り合える人のことを、その頃私は「わかる人」と呼んでいた。そしてその「わかる人」というのは、大げさに言ってしまえば、「世の中から選ばれた人種」だと思っていた。物事に関して「わかる」か「わからない」かは生まれ持ったものが大きくて、訓練することによって「わからない」人が「わかる」人になれることはほとんどない。だから、この地球上に存在する人数も少ない。「わかる」人に出会えるチャンスはとても少なくて、だからこそ、私は常に同種の人間を追い求めるべきだ──そう考えていた。
幸いなことに、私の母親はわかる人だった。お互いに考えていることを話し合い、語り合い、これってこういうことだよね、とか、こういう人は、こんなことを考えているから、あんな行動になるんだよねとか、そんな話ばかりしていた。〇〇ちゃんはたぶん、人を傷つけるのが好きなんだよ。人を傷つけることによって、自分を優位に立たせて、それで満足してるの。ああ、わかる。私の周りにもそういう人、いるわー。
「学校」という閉鎖空間に馴染めない苦しさ
こんな具合に、何か嫌なことがあったり、もやもやした気持ちが溜まるたびに、母親に話をするようになっていた。
残念ながら、高校にはわかる人はいなかった。私と同じような目線で物事を見て、同じように語り合える仲間はいなかったし、ちらりと話をしても、たいていの場合「あなたの話って難しくてよくわかんない」と言われた。やっぱり私はおかしいのだろうか、と思った。こんな風に世の中の仕組みを考えたり、人の心理や行動を分析するのが好きなのはおかしいのだろうか。クラスメイトの力関係を観察するような子は、同世代には存在しないのかもしれない。
なんか、つまんないな、と思うようになった。高校にいても、つまらない。
同じレベルで話ができる人と出会いたい。
恋愛、漫画、テレビ、お笑い、勉強、クラスメイトの噂話。
そんなことしか話すネタがない同級生たちは幼いなと思ったし、つまらないと思った。
今考えれば、学校という閉鎖空間で居場所が見つからないことへの鬱憤を晴らすために、他人に責任転嫁していただけだったのだろうけど、何しろほんの17歳の若造である。孤独と向き合うための術も、力も、経験も、当時の私は持ち合わせていなかった。
もっと広い世界を見たい。
きっと大学に行けば、社会人になれば、同じような視点で物事を語れる人に出会えるはずだ。話のレベルも合うはずだ。こんなふうに子どもっぽい価値観に溢れた世界で生きる必要なんてない。
井戸の中に閉じ込められている蛙の気分だった。私を出して。ここから出して。もっともっと広い世界を見せて。
まさか、この高校という空間だけが、世界のすべてだなんて信じられないと思った。外の世界に出さえすれば、自分が生きやすい世界が広がっているのだと信じていた。