43歳の挑戦で
こじ開けた新しい扉

未経験から3カ月でトップエンジニアへ!名だたる世界的企業が注目するシリコンバレー式ブートキャンプとは?Kani Munidasa(カニ・ムニダサ)
コードクリサリス共同設立者&CEO。日本生まれ、スリランカ育ち。高校卒業後に日本に戻り、東京農工大の機械工学科を卒業。その後、EMC(現在はDell EMC)、Greenplum、Pivotal Labsのエグゼクティブとして、事業の革新をサポート。米国で18年間勤めた後、サンフランシスコのブートキャンプ型のコーディングスクール「HackReactor(ハックリアクター)」に入学し、教育への情熱を模索。サンフランシスコから東京へ居を移し、2017年、コードクリサリスを共同設立。「クリサリス」は英語で「サナギ」を意味する。 Photo by HK

 ムニダサ氏も、リスキリングによって新しい人生を切り開いた1人だ。

「シリコンバレーでテクノロジー系の企業に勤めていましたが、エンジニアではなかったのでコードは書けませんでした。ITの仕事をするうえで、コードは共通言語。知らないままでいるハンデは大きいと考えて、思い切って退職し、ブートキャンプ型のコーディングスクールに飛び込んだのです」(ムニダサ氏)

 43歳での挑戦は相当にハードなものだったが、そこでスキル以上のものを手にする。

「追い込まれた状態に身を置くことで、自分の強みや弱みを再確認できました。コーディングのスキルはデジタルネイティブ世代にはかなわないけれど、みんなの意見を取り入れながらプロジェクトやチームをマネジメントするのは得意。それに何より、新しいことを学んで自分のものにする喜びを実感しました」

 次はその喜びを提供する側になろうと、ブートキャンプ型スクールの立ち上げを決心する。その舞台に日本を選んだのは、「この国が沈んでしまうのではないか」という強い危機感からだった。

 日本人の母を持つムニダサ氏は、父の母国であるスリランカで育ち、ロボット工学を学ぶため、大学進学を機に日本に移る。

「当時の日本は、半導体やロボット工学の分野で世界をリードしていましたし、子どものころからロボットやメカが大好きだった私にとって、日本は憧れでした。しかし、その後日本は、先端技術やIT領域におけるプレゼンスをずるずると低下させていきます。シリコンバレーで働きながら、その状況をとても悔しく思っていました」