ロッテ創業者はなぜ事業承継に失敗したのか(前編)――“老害”がもたらした後継者の「疑心暗鬼」

日韓にまたがる巨大財閥、ロッテグループを創り上げた重光武雄。起業から韓国の5大財閥の一角にのし上がるまでの人生は、まさに「今太閤」を思わせる立身出世の歩みだった。しかし晩年は、二男のクーデターによって、後を託すはずだった長男への事業承継に失敗し、自らもまた実権を奪われ寂しい余生を強いられた。稀代の経営者も事業承継の失敗で晩節を汚すことになってしまったのである。周到な事業承継の準備を進めてきたにもかかわらず、なぜ武雄は承継に失敗したのか。そこからはいくつかの教訓が浮かび上がる。(ライター 船木春仁)

ロッテのクーデターから浮かび上がる「事業承継7つの教訓」

 本連載第1回『魑魅魍魎のクーデターですべてを失った、ロッテ重光の「末路」』で紹介したように、重光武雄は事業承継の準備に無頓着だったわけではない。ロッテグループの巨大な事業基盤は韓国にあったが、グループの「総司令部」といえる持株会社や一族の資産管理会社は日本にあることから、武雄は若い頃から資本再編などを通じて事業承継の準備を重ねてきた。

 その結果、武雄がたどり着いたのが、持株会社のトップには長男が就き、「日本事業は長男、韓国事業は二男」と棲み分ける形だった。ロッテグループの売上高(5兆~6兆円)のうち日本事業の売上高は1割にも満たない。「財閥」として君臨する韓国の基幹事業は二男に任せ、資本管理と日本事業は長男に任せる。

 李氏朝鮮の貴族階級である「両班(ヤンバン)」出身の武雄にすれば、長男は戸主の座と祭祀(チェサ)を引き継ぎ、家長として一族を率いるかけがえのない存在だ。事業承継策はまさに儒教的な長子尊重と長子相続を軸とした当然のものと考えていたようだ。

 直感的に見えて非常に緻密で思慮深い経営そのままに、事業承継においても丁寧な準備が行われてきたのである。

 しかし、二男は父の承継策を諾とせず、クーデターによって持株会社の実権を奪った。長男は資産管理会社の筆頭株主として、まさに形だけのオーナーとしての立場に追いやられた。

 この一連の過程を取材するなかから、私たちは事業承継について7つの教訓を得た。それは以下の通りだ。

教訓1 後継者指名を公の場で正式に行う
教訓2 後継候補が複数なら“継承順位”を明確にする
教訓3 後継のタイミングを見誤るな
教訓4 後継者に経営理念を継承せよ
教訓5 持株会社の多様な機能を活用せよ
教訓6 トップの専権事項にせず取締役会と議論せよ
教訓7 万全の備えを崩す“欠陥”を見逃すな

 そもそも事業承継は、経営の承継、資産の承継、相続という3つの課題を片づけることである。

 1つ目の「経営の承継」は、いわゆる後継者問題であり、それは後継者の育成と決定という2つの課題から成る。「資産の承継」の課題も2つある。自社株の承継と事業用資産の承継だ。特に自社株の承継では、株主構成を最適化し、後継者決定とも絡んで「後継者への集中」という措置が必要になる。経営の承継において経営権と資産(自社株)の掌握は不即不離の課題である。

 そして3つ目が「相続」だ。いわゆる相続税対策を盛り込んで財産の承継がよりスムーズに行われ、一族としての資産の目減りと分散を防ぎ、残された者への負担軽減と資本の集中を維持するために取り組まれる。

 これら3つの課題を「抜かりなく」片づけることが事業承継の最大の目標である。どれか一つをクリアすればよいというものではない。だからこそ、時にはジャンルの異なる複数の専門家に助力を依頼する。これは町工場のような零細企業の事業承継でも大きくは変わらない。

 こうした前提を確認した上で、私たちがロッテの兄弟の乱の取材から得た7つの教訓を一つずつ解説していく。