高圧的な人への対処法②
「そもそも〇〇って」という言葉が出たら要注意

植原:あとは、相手がある種の「定義」みたいなものを述べ出したときも、反撃のポイント

「これはこういうことでしょ」というような「定義付け」には、実は相手の思惑が出やすいんです。

自分にとって都合の良い意味に勝手にすり替えて、それで怒っている場合が多い。そんな狙いを、嗅ぎつけたいわけです。

──なるほど! たとえば、「そもそも仕事っていうのはさ、こういうことだろ?」みたいなことでしょうか?

植原:ええ、ええ、まさにそういうことです(笑)。「言葉の意味を自分に都合よく変えて使う」のは詭弁でよく用いられるパターンの1つなんです。

──ああ、これが口癖の人、結構いますよね(笑)。でもたしかに、定義付けがうまい人は、人に自分の意見を説明して、納得させるのもうまい気がします。

植原:ええ。定義付けで相手を叱責する人の話は、至極もっともらしく聞こえるんです。

けれど、注意深く聞いてみると実は詭弁だった……という場合も多い。

なので、さきほど言われたような「そもそも〇〇って」といった定義付けの言葉が出てきたら、そこに矛盾がないかどうか、解釈の不一致がないかどうか、確認してみるといいかもしれません。

──そうか。たとえば仕事の定義について、「ものすごく過剰な要求をしてくる人なんだな」ということに気がつければ、「上司と自分では、仕事の定義が違うんだ」と、あまり傷つくことなく、冷静になれそうですね。

植原:それは大きいですね。他人同士、双方に重なっている部分がありつつも、別れている価値観もあるはず。

ここも「ちょっと確認なんですが」と、質問してみるのも有効だと思います。

怒られて頭が真っ白になってしまう心の仕組み

植原:とはいえ、そもそも「叱責すること」自体が相手の目的だった場合、この2つの戦略が機能しない可能性が高いので、やっかいなんですけども(笑)。

そうではなく、「まあ悪い人じゃないんだけど、そりが合わないときがあるな」くらいの許容範囲内であれば、仕事で今後も付き合いがありますし、歩み寄る余地があると考え、柔らかく確認するというのがいいでしょうね。

──ワーッと相手に責められると、怖くなって頭が真っ白になってしまうケースもありますよね。どんなことにも冷静に対処できる人は本当にすごいなあと思うのですが……。

植原:それは、生物としての本能なので、自然なことなんですよ。

「上司」というのは、自分が所属する「職場」というコミュニティにおける、いわば──ちょっと表現が特徴的になるんですが──「権威者」なんです。

信頼関係を結んだコミュニティの中の「権威者」が自分に何か言ってきているわけだから、それは自分に非がある可能性が高いんだろうと考えてしまうのは、自然なこと。

自分の本能的な部分が正常に機能している証拠とも言えますね。

とはいえ、言われたことをそのまま全部受け入れ続けると大変ですから、「相手が私を評価するには限界がある」としっかり認識するといいと思います。

相手は、「相手から見えた一側面」について指摘しているだけですから、すべてを理解してくれるわけではない。

──どうして権威者に言われたことを、そこまで気にしてしまうのでしょうか。

植原:私たちの祖先について考えてみると、想像しやすいかもしれませんね。

かつて我々の祖先が、50人くらいのコミュニティで狩猟採取生活を営んでいて、そこで何か問題が発生したとしましょう。

そのとき、人々が真っ先に誰に頼るかというと、やはり「長老」みたいな人なんですよね。自分たちの中で一番、知識や経験を持っていて、この問題を解決する方法を知っている可能性が高い。

生き残るためには、権威者に頼らざるを得ないわけです。

──そうか、そうして生き残ってきた種族が私たちだから、そのときの習慣がいまも根付いていても、おかしくはないだろうと。

植原:ええ。権威者から何かを言われたとき、「あの人が言うんだから、もっともな理由がきっとあるんだろう」「そのとおりなんだろう」と捉えるのが、私たちの進化の結果としてもたらされた心のあり方だと考えられます。

なので、現代においてもそれは同じ。

上司や先輩、みんなに慕われている人など、コミュニティの権威者である人物の意見が「正しく」聞こえてしまうのは仕方のないこと。

何から何まで全部自分で経験して試行錯誤して、正しいか間違いかを判断するわけにはいかないので、どうしても経験が豊かな人の意見を手がかりに、予測を立てていかなきゃいけない。

これも、『遅考術』で書きたかった大きなテーマの1つですが、私たちにはこういう仕組みが備わっている、というのは理解した上で、置かれた状況を、まずは冷静に見極められるようになるといいと思います。

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第1回 「頭の回転は速くても考えが浅い人」と「本当に頭がいい人」の根本的な違い

植原 亮(うえはら・りょう)

1978年埼玉県に生まれる。2008年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術、2011年)。現在、関西大学総合情報学部教授。専門は科学哲学だが、理論的な考察だけでなく、それを応用した教育実践や著述活動にも積極的に取り組んでいる。
主な著書に『思考力改善ドリル』(勁草書房、2020年)、『自然主義入門』(勁草書房、2017年)、『実在論と知識の自然化』(勁草書房、2013年)、『生命倫理と医療倫理 第3版』(共著、金芳堂、2014年)、『道徳の神経哲学』(共著、新曜社、2012年)、『脳神経科学リテラシー』(共著、勁草書房、2010年)、『脳神経倫理学の展望』(共著、勁草書房、2008年)など。訳書にT・クレイン『心の哲学』(勁草書房、2010年)、P・S・チャーチランド『脳がつくる倫理』(共訳、化学同人、2013年)などがある。

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