時が止まって息をのむほど、野沢直子が驚いたものは何だったのか?!
人気絶頂の中、日本でのすべての芸能活動を休止し、渡米してから約30年。その生き方と圧倒的な個性で注目を集めてきた野沢直子さんが、還暦をまえにして「60歳からの生き方」について語ったエッセイ集『老いてきたけど、まぁ~いっか。』が発売とともに話題になっています。「人生の最終章を思いきり楽しむための、野沢直子流『老いとの向き合い方』」について、本連載では紹介していきます。
唇が急に何か不用意に
自分でも意図していない変な音を出すから嫌になる
私はよく友だちと話していて、ボケたあとにきゅっと口を尖らせるような表情をする方なのだが、若い頃はそれで問題なかったのに、今は口をきゅっと尖らせようものなら唇に激しい縦線がたくさん入り見事な梅干しばばあの完成になってしまうのでもうやめたいが、ついつい癖でその顔をしてしまう。
脳内では若い頃と同じ顔をしているつもりでも、傍目から見たらとんだ梅干しばばあ、付き合いの長い仲のいい友人からは「その顔しても、今はしわしわなの自覚しろ」とありがたく忠告されている。
それに付け加えて、年々口元がゆるくなってきているのだろうか、唇が急に何か不用意に自分でも意図していない変な音を出すから嫌になる。息を吸ったり吐いたりしている時に唇が震えて『あわわわ』みたいな音を発したり、笑ってもいないのに『ぷっ』とか噴き出しているみたいな音を発することもある。
ある時知り合いが奥さんの病気の話をしている時に、『ぷっ』とか言ってしまったこともあって、噴き出して笑っているのかと思われて最悪な状況になったこともあった。
あごの下が、だるだるしている。だるだるがある。だるだるがいる
いや、でも、しわ、ほうれい線はとにかくとしても、皮膚が下がってきている感じには本当に嫌になる。私はこれが一番嫌かもしれない。子どもの頃、よく母親が私の顔をまじまじと見て「ぱーんとしてて、水をはじくような肌でいいわねえ」と言ってため息をついていたが、五十年後、その顔がまったく水をはじかなくなった今、母のその言葉をよく思い出している。
私は個人的にはしわに関しては『生きてきた証』として捉えよう、と寛容に構えるつもりだった。そう、そのつもりだった。
私は絶対にしわよりもたるみの方が気になる派で、自分で正面から鏡を見ている時には気が付かない、横を向いた時のあごの下に垂れ下がっている皮なのかなんなのかわからないだるだるした自分の一部を動画などで発見した時には、時が止まって息をのんだ。
わかりやすく、「ええ?」と一人で言ってみて、息を止めたまま動画を巻き戻しては再生して、巻き戻しては再生して繰り返し見た。
間違いない。あごの下が、だるだるしている。だるだるがある。だるだるがいる。
はっきりとだるだるを認めた時に息を止めていて息苦しかったにもかかわらず、また更に息をのんだ。そしてその後、あの時の母の十倍くらいの深い長いため息をついてめまいがした。
ほうれい線がフナなら、このあごの下のだるだるは七面鳥っぽい。フナ足す七面鳥だ。更に、首のしわは亀っぽくて、フナ、七面鳥、亀と、私はどんどん人間から離れていく。
『老いてきたけど、まぁ~いっか。』では、「人生の最終章を、思いきり楽しむための、野沢直子流『老いとの向き合い方』」を紹介しています。。ぜひチェックしてみてください。
(本原稿は、野沢直子著『老いてきたけど、まぁ~いっか。』から一部抜粋・修正して構成したものです)
1963年東京都生まれ。高校時代にテレビデビュー。叔父、野沢那智の仲介で吉本興業に入社。91年、芸能活動休止を宣言し、単身渡米した。米国で、バンド活動、ショートフィルム制作を行う。2000年以降、米国のアンダーグラウンドなフィルムフェスティバルに参加。ニューヨークアンダーグラウンドフィルムフェスティバル他多くのフェスティバルで上映を果たす。バラエティ番組出演、米国と日本でのバンド活動を続けている。現在米国在住で、年に1~2度日本に帰国してテレビや劇場で活躍している。著書に、『半月の夜』(KADOKAWA)、『アップリケ』(ヨシモトブックス)、『笑うお葬式』(文藝春秋)がある。
写真/榊智朗