8月24日に逝去した稲盛和夫氏は、若くして創業した京セラを世界的企業に成長させ、第二電電(現KDDI)を設立、破綻の淵にあった日本航空を再生するなど、その多くの功績から「経営の神様」と称えられた。また、生前多くの著書を通じて卓越した経営哲学を説き、国内外の経営者、ビジネスパーソンに多大な影響を与え続けた。
著書『働き方』は、2009年に出版され、版を重ねながら今や30万部を超えるロングセラーだ。今回、本書の1章 「「心を高める」ために働く――なぜ働くのか」全編を5回に分けて掲載していく。「なぜ働くのか」「いかに働くのか」――。稲盛氏の仕事に対する情熱を知り、働くことの意義を改めて問い直すために、名著の一端に触れていただきたい。
一見不幸なように見えて、じつは幸せなこと
懸命に働くことが、想像もできないほど、素晴らしい未来を人生にもたらしてくれるということを頭でいくら理解しても、もともと人間は、働くことが嫌いです。「仕事は嫌いだ」「できれば働きたくない」という気持ちが、どうしても頭をもたげてきます。
それは、元来人間が放っておけば易きに流れ、できることなら苦労など避けてでも通り過ぎてしまいたいと考えてしまう生き物だからです。そのような本能に根ざした、安楽を求める習性のようなものは、戦前戦中時代に育った私などにとっても、また現代という豊かで平和な時代を謳歌する若者にとっても、基本的に変わりはないように思います。
今と昔が大きく異なるのは、かつて私たちの時代には、イヤイヤながらでも働かざるを得ないような状況があったということかもしれません。
私が青年時代を過ごしたころの日本は、今よりもはるかに厳しい社会環境にあって、好むと好まざるとにかかわらず、一生懸命に働かなくては、とても食べていくことさえできませんでした。