わたしたちはずっと、物語は素晴らしものだと教えられてきた。ここではないどこかに連れて行かれ、思いもかけない仲間と出会い、わくわくするような冒険をして、愛や献身、自由や自立など、人生にとって大切なことを教えてくれるのだ。

 だがアメリカの英文学教授ジョナサン・ゴットシャルは、これまで物語の魅力を学生たちに教えてきたにもかかわらず、『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』(月谷真紀訳、東洋経済新報社)で、わたしたちは「物語の闇の力」を正しく理解しなければならないと説く。なぜならいま、「物語が人類を狂わせている」のだから。

「物語が人類を狂わせている」。退屈な日常から私たちをどこかに連れていってくれる「物語」の闇の力を正しく恐れよ!Photo:kai / PIXTA(ピクスタ)

 原題は“The Story Paradox: How Our Love of Storytelling Builds Societies and Tears them Down(ストーリー・パラドック わたしたちのストーリーテリングへの愛は、いかに社会を築き、そして破壊するのか)”。

 本書を紹介する前に、ストーリー(story)とナラティブ(narrative)の定義について述べておこう。日本語ではどちらも「物語」と訳されるが、両者には微妙なニュアンスのちがいがある。

「ナレーター」や「ナレーション」という言葉があるように、ナラティブの原義は「言葉によって語られた物語」だ。それに対してストーリーは、文字にされたものも含むより広義の物語になる。ナラティブ(口承の物語)はストーリーの一部なのだ。

 それがSNSの時代になって、140文字で語られる(あるいは写真とともにコメントされる)ナラティブを「わたしの物語」とし、ストーリーは「(多くのひとに共有される)大きな物語」と見なされるようになった。

 本書ではこのような厳密な区別がされているわけではないが、誰かのナラティブが多くのひとに共感されるとストーリーになり、逆に、広く流通するストーリーに自分が参加する(自分を中心とする物語に転換する)とナラティブになると考えればいいだろう。

 このことがよくわかる例としてゴットシャルが挙げるのが、2018年10月にピッツバーグ郊外で起きた事件だ。

ユダヤ人乱射事件は“ヒーローとして「同胞を救おう」”というナラティブから

 ロバート・バウアーズは46歳・独身の白人男性で、以前はパン屋で働いていて、同僚からも好かれていた。みんなからバズと呼ばれ、同僚のパーティに顔を出せばその家の子どもたちの遊び相手をした。誰かを傷つけたことはもちろん、トラブルを起こしたこともいちどもなかった。

 ところがその後、バウアーズは失業して友だちは一人もいなくなり、代わりに重機関銃を購入した。そしてある土曜日の朝、SNSにメッセージを投稿するとトラックで15分ほどのところにあるシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)に向かい、銃を手に正面扉から建物に踏み込むと、「ユダヤ人は皆殺しだ!」と叫びながらセミオートライフル(AR-15)と、3丁のセミオートマティックピストル(グロック357)を乱射した。

 警官隊の第一陣が駆けつけるまでに、バウアーズは11人を射殺し、多数を負傷させた。SWAT隊員に撃たれて投降したとき、警官らに救命措置を受けながらバウアーズは、自分は「理由もなく学校やショッピングモールで銃を持って暴れる世を拗ねた錯乱者」とはちがうと訴えた。「自分のしたことが仮に犯罪であったとしても、それははるかに大きく凶悪な犯罪を阻止するためにほかならない。ユダヤ人が、事実上のアメリカ侵略と白人種に対する緩慢なジェノサイドを進めているからだ」というのだ。

 これはもちろん、これまで繰り返し語られてきた陳腐な反ユダヤ主義の陰謀論にすぎない。だがゴットシャルは、この物語がバウアーズを凶行に走らせたのではないとする。「ユダヤ人が世界を支配している」と考える者が、みな銃を乱射するわけではないからだ。

 バウアーズは犯行直前に、「HIAS(ヘブライ移民支援協会:ユダヤ系移民の定着を支援する団体)は我が同胞を殺す侵略者を引き入れようとしている。俺は同胞が殺されるのを何もせずに見ていることはできない。お前らからどう見られようがかまわない。俺は突入する」とSNSに投稿した。

 ゴットシャルは、このメッセージを次のように読み解く。「俺はバカじゃない。無防備な、ほとんどが高齢者ばかりの礼拝者たちに銃を乱射するのが良いことに見えないのはわかっている。自分が怪物に見えるだろうことはわかっている。だがよく見てくれ。俺は怪物なんかじゃない。怪物を倒すために犠牲をいとわない善人なんだ」こうバウアーズは主張したというのだ。

 どこかの時点で、バウアーズはフィクションのなかに入り込んでしまった。そこで自分自身を「壮大な歴史叙事詩の悪を倒す英雄」に仕立て上げた。「悪夢のようなLARP(ライブRPG)ファンタジー」にとらわれてしまったのだ。

 これを言い換えるなら、バウアーズは反ユダヤ主義のありきたりのストーリーを、自分がヒーローとなるナラティブに転換したのだ。そしてこの歪んだRPGの世界で、ヒーローとして「同胞を救おう」と行動した。

 SNSの登場以来、わたしたちは「ストーリーのビッグバン」を生きているとゴットシャルはいう。「物語宇宙が全方向に爆発的な勢いで拡大している」のだ。

 その結果、いまでは物語が人類を狂気に駆り立て、世界を破壊しつつある。だとすれば考えるべきは、「どうすれば物語によって世界を変えられるか」ではなく、「どうすれば物語から世界を救えるか」なのだ。