わたしたちの祖先が直立二足歩行を始めた理由としては、大きくふたつの説が対立してきた。ひとつはアカデミズムの定説で、もうひとつは在野の研究者によって唱えられ、アカデミズムではまったく相手にされてこなかった説だ。
よく知られているのはサバンナ説で、「森林の縮小によって樹上生活を放棄せざるを得なくなった類人猿が、サバンナでの移動がより有利な二足歩行に移行した」とされる。人類学ではずっと、これが当然の前提とされてきた。
それに対して在野の女性人類学者エレイン・モーガンは、森林から追われた人類は水辺に移動し、一時、水生生活をしていたというアクア説(水生類人猿説)を唱え、多くの書籍で旧態依然とした(男性中心主義の)人類学をはげしく攻撃した。アカデミズムがアクア説を一貫して無視してきたのは、モーガンの主張を認めれば自分たちの権威が崩壊すると恐れたからだろう。
チンパンジー・ボノボやゴリラなど人類の近縁種は、短時間であれば二足歩行が可能だ。そんな類人猿が水辺の生活に適応しようとすれば、(四足歩行のままでは沈んでしまうのだから)ごく自然に直立して水面上に頭を出そうとするはずだ。
それ以外でもアクア説は、人類のもつ奇妙な特徴を進化の適応としてうまく説明できる。
人類が体毛を失い、頭髪(と陰毛)だけが残ったのは、身体が水中に浸かっていたからだ。陸生の大型哺乳類のなかで皮膚の下に脂肪を蓄えるのは人類だけだが、アシカやクジラ、カバなどの水生哺乳類はみな皮下脂肪をもっている。チンパンジーが会話を学習できないのは意識的に息を止めたり吐いたりできないからだが、水中に潜る必要が生じれば呼吸をコントロールするようになるはずだ(鼻の穴が下向きなのも、水に潜るときに有利だからだ)。より決定的なのは、いまでも水中出産が行なわれているように、生まれたばかりの赤ちゃんが泳げることだ。なぜサバンナで進化した動物の赤ちゃんが、生まれてすぐに泳げるのだろうか……。